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まだまだ、運命ではありません

発売記念こばなし。

父親が腰を痛めているとかで、庭の草むしりのヘルプがきた。五月に雨が多かったせいで、本格的な梅雨を待たずして雑草が伸びまくっているらしい。座業の母親はもちろん関与しない。へたに頑張られて大黒柱の仕事に差し支えては困るので、ほどよく曇った日曜の朝、澄は実家に出向いた。陽射しはないが気温は上がる予想で、じめっとしている。

「手伝ってもらえるのはありがたいけど、草むしりなんかひとつも楽しくないですよ」
「御影ちゃんだって楽しくないお見舞いにつき合ってくれるじゃん」
「んー……楽しくないってことは」
楽しいと言い切れるようなほどでもないが、ハカセに会いに行くちょっとした遠出を、澄は嫌いじゃない。しかし、雑草の除去は純然たる肉体労働であって。

「はい、日焼け止め、ちゃんと塗ってくださいね。虫除けスプレーと、帽子と、軍手……タオル、首に巻いてください」
「はいはい……何で笑ってるの?」
「門脇さんの草むしりルックが似合わなすぎて」
噛み殺しているつもりでぜんぜん殺せていない笑いをこぼしながら答えると、楡は「御影ちゃんはよく似合ってるね」と言った。
「えっ」
意趣返しをする性格ではないから、きっとこれは直球の素直な感想。
「わ~うれし~……」
「え、何で怒ってるの」
「何でもないです」
気を取り直して庭にスタンバイし、「無理しないでくださいよ」と楡に言い聞かせる。どんなに根までこそいだつもりでいても、またいつの間にか芽を出していつの間にか伸びるのだから。うんざりするしぶとさは、生命の健やかさでもある。

「ちょっとでも具合悪くなったらすぐ縁側で休んでくださいね」
「俺、そんなに虚弱に見える?」
「そういうわけじゃないですけど、基本オンオフのスイッチしかなくて調節がへたでしょ」
「なるほど、御影ちゃんは俺より俺を分かってるね」
「……改善する気なさそう」
成果が見えやすいよう、目立つところから草を引っこ抜いていく。あまり完ぺきにやりすぎると、ほかにも同じカロリーをかけなくてはならなくなるので、見ないふりでやり過ごせるところはスルーで……とかいう細かいコツを楡に説明するのはまた難だという気がしたので、自主性にまかせておいた。どうせすぐ伸びるし、最終的には業者に頼んだっていい。

そうしてしばらく、各自でもの言わぬ命を間引いた。しゃがんだまま後ずさると楡の腰が当たり「すいません」と振り返る。同じ姿勢の楡は、頬に汗を伝わせながらかぶりを振った。
「大丈夫ですか?」
「平気。結構楽しい」
「え、どこが?」
「うつむいてたら首が凝るから、上を見たら、すごく空が近い感じがして」
と、楡は天を仰ぐ。無防備な後頭部やつむじが、やたら幼く見えた。
「距離的にはわずかに遠ざかってるはずなのに、何でだろうね」
「……さあ」
考えたこともなかった。楡のようだ、とかつて思った曇り空を、澄もしばらく眺めた。暑いし、腰も足もだるいけれど、確かにそれは悪くない景色だった。

一時間ほど作業し、七〇リットルのごみ袋がぱんぱんになる頃には、庭もだいぶすっきりした。
「ご苦労さん、枇杷置いとくから食べなさい」
「うん、ありがとう」
手と顔を洗ってさっぱりしてから、縁側に並んで水をごくごく飲み、枇杷を剥いた。「手で簡単に剥けるっていいよね」と楡は言う。
「バナナとかみかんとか」
「ぶどうは?」
「若干めんどくさいかな」
「ほんとものぐさ……」
のんびり枇杷をかじっていると、母親が降りてきて「おー、きれいになった」と喜ぶ。

「ていうか門脇くん、なじんだね、ここに」
「そうですか?」
「うん。今、澄と並んでる後ろ姿見て思った。うちの家族に、というより、この家になじんだ感じ。風景の一部。昔から住んでた人みたい」
「それは嬉しいです」
楡は、本当に嬉しそうに笑い、澄だってそれは嬉しいに違いないのだが、ちょっと警戒してしまった。
「うまいこといって、また下宿話にもってこうとしてる?」
「違うよおー。でも欲しかったら売ってあげようかなー」
「え、おいくらですか」
楡が身を乗り出しかけたので慌てて止めた。だってこの人、買えそうなんだもん。
「そーゆー軽はずみなこと言わない!大体この家売ってどこで暮らすんだよ」
「じゃああと二十年ぐらい経ったら門脇くんに買ってもらったお金でお父さんと老人ホーム入る」
「あ、それなら丸く収まりますね」
「何言ってんですか」

母親がいなくなってから、澄はちいさな声で言った。
「……わざわざ買わなくても、そのうち俺のものなんですけど」
「妹さんは?」
「真子は先生の版権、俺はこの家、ってことになってるんで。正式に遺言状つくってるわけではないですけど」
親が死ぬ話、若干後ろめたくはあるが親より先に死ぬ話よりはいいだろう。

「……その頃まで一緒にいられたら、もう、運命かな」
「運命になったって感じじゃないですか」
運命は「ある」んじゃなくて、「なる」もの。
「じゃあ、その将来に望みを託す意味で、庭の一部を借り受けてもいいかな?」
「え?」

ということで、枇杷の種を植えてみた。実は子どもの頃も何度か試みたが、芽も出なかった。でも楡となら育つ、というか育ってしまう気がして、ひとつだけ。にょきにょき伸びて、実をつけたりなんかしたら、と思うと、とんでもなく渋かったり酸っぱかったりして、と思うと、ちょっと怖くて楽しみで、それは人と出会う時の気持ちに似ている。
庭の片隅に埋めた秘密と未来に土をかぶせ、こっそり笑い合った。

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