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シグナル

8月のインテックス大阪のイベントで配布したペーパーのこばなし。ふったらどしゃぶり、一顕と整。

「革命だよ」
足立は言った。
「ほんと、革命が起こったよね……」
「そんなに素晴らしかったんだ」
ビールジョッキ片手に整が乗っかると「まじで!」とさらに力説する。
「ふたりとも行ったほうがいい! VRの個室ビデオ店!」
「声がでけーよ」

一顕は顔をしかめ「そんな話するために飲みに誘ったのかよ」と突っ込んだ。
「え、会社で話してもいい?」
「やめろ」
「ほーんとよかったから! 九十分二千円で夢の世界だよ〜」
「俺、個室ビデオ店自体に行ったことないんだけど、漫喫みたいな感じなんだよね?」
「そうそう、ブースが並んでてお高いとこはマッサージチェアとかついてんの」
「そこに、VRゴーグルつけた男がみっちり詰め込まれてる図って想像したらなんかすごいな」
「あー、ゲスの極みマトリックスって感じはするよね!」
「考えたくねー……」
妻子持ちの同僚は、それからもヴァーチャルリアリティで鑑賞するアダルトDVDを熱心に布教してきた。
「もーね、臨場感が桁外れ。だって自分が横向いてもそこにいるんだよ? すごくない? もう平面の動画になんか戻れない! 弊社ももっとVR関係に力入れてくべき、ソフトもハードも」
「家庭用普及したら家で観られるし?」
「いや、没頭するからやばい、視界ゼロだし、嫁はまだしも娘に見られたら切腹案件でしょ」
「てか、どんなにリアルでも触れないんなら却って空しくね?」
「ああ、ついつい両手動いちゃうよね、ないって分かってんのに」
と足立は空中でやわらかいものを揉む仕草をした。
「3D映画でスクリーンに手ぇ伸ばすお子さまと変わんねーな……」
「でも、それも再現可能になるんじゃない?」
整が言った。
「感覚って要は電気信号だし、脳に刺激与えて錯覚させればいい話で」
「あー、匂いとか味とか、できるらしいもんね、未来感ハンパない」
未来感っていうか、終末感じゃないのか、と一顕はちょっと思った。現実は脳が見せている像に過ぎないと割り切って利用してしまえば、仮想も何もない、本当と嘘の境界が無意味で、すべては等しくまぼろし。考えてみたら怖い。
「じゃ、行ってきてね!こっから近いから、宝島24!」
「だから声がでけーよ」

店の前で足立と別れて歩き出すと、整がこらえきれなくなったように笑いをこぼした。
「なに?」
「さっき、足立くんが店名叫んだ時、何人かびくってしてる男いたから、ほんとに人気なんだなあって」
「え、気づかなかった」
「考えごとしてたもんな、萩原」
「んー、ちょっと……」
怖くなって、と言おうとして、思い直した。
「––––……寂しくなって」
見えている感じ、聞こえている感じ、触れている感じ、がありさえすれば満たされて、生身の身体と心のほうが邪魔になるような、そんな世界が。もし昔の自分にそういう選択肢があったとして、飛びついただろうか。これでやっと、触れられない焦燥から解放されると。……絶対ない、って、言い切れないな。
「え、あの下ネタに寂しくなる要素あった?」
「うっすらと」
「えー」
スーツの袖口のボタンに整の爪がこつこつ当たる。ん、と視線をやるとうすく唇をほどく。
「行ってみる? 宝島」
「え、半井さん行きてーの?」
「ゴーグルつけてエアおっぱい揉んでる萩原は見たいかも。でもそういう使い方する店じゃないんだよな」
「当たり前だよ……半井さんはずるいなー」
「何が」
「エアおっぱいとか言っても全然下ネタ感ないから。さらさらしてる」
「褒めてる?」
「逆よりよくない?てかそんな間抜け極まりない光景見てどうすんの」
「いや、かわいいと思う」
「ねーよ……」
「かわいいよ」

整の指が、顎の下をするりと撫でた。雑踏の中、ものの数秒のあやうい接触は誰にも見咎められない。冷房のきつい見せて、凍ったジョッキを持っていたせいかつめたかった。脳に、電気が走る。今の今までさらさらしていた整の目がとろっと潤んで、くらげみたいに透き通っていれば、身体の奥でちかちか灯るものがきっと見える。ネオンよりささやかに、強烈に。そして自分の中にも同じ信号が。これと同じ感覚を自在に体験できるのだと言われても、一顕は「違う」と言い張るだろう。俺をこんなふうにするのは、生きて、息をして、しゃべって、目の前に存在しているこの人だけだ。ああ、触りたいな。
「人混みでスイッチ入れんのやめてもらえます?」
「何の話?」
整はとぼけて、「早く帰ろう」と足取りを早める。
「でも確かに俺も、半井さんがVRしてるとこは見たいかも」
「想像すんなよ、怒るぞ」
「なにその理不尽」
信号を、点滅させ、呼応させながら、ふたりだけの現実へ急ぐ。

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