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do you remember you?

※「OFF AIR2」発売記念こばなし。本書収録の「FOOLS RUSH IN」読了後にどうぞ。

ベッドで携帯をいじっていた潮が「うお」と声を上げた。ちいさくではあるが驚きがあらわで、眠りに落ちかけていた計も思わず目を開け「何だよ」と尋ねた。
「そっか……あー、すっかり忘れてた」
「おい聞いてんのか」
「完全に忘れてたわ」
計を見て同じことを言う。大丈夫かこいつ。
「何を」
「何だと思う?」
「確定申告だったら今すぐ謝罪会見な」
「いやそこまでのもんじゃねえけど、あ、でもやっぱそこまでのもんかな?」
「だから何なんだよ!」
そこまで引っ張っておいて潮は「秘密」とぬかした。
「あしたになったら分かるよ」
「今言え」
「まーまー、慌てる国江田さんはごはんがすくない」
「んなもんお前のさじ加減だろーが!」
「いいからいいから」
やたら上機嫌で計を抱き寄せると、鼻歌なんか歌っている。まじでどうした、こいつ。

翌日、家に帰ると、テーブルの上にコンパクトなビデオカメラがあった。
「これ、覚えてるか?」
「ゴープロだろ」
忘れるか、あのくだらねえ二日酔いの朝を。
「それがどうした」
「ずっと人に貸してたの忘れてた」
「は?」
何でも、ちょっと海外をぶらぶらしてくるから使わせてくれないか、と知人に頼まれたらしい。バカか、と計は顔をしかめた。
「高いもんをほいほい他人に貸すんじゃねえよ」
しかも海外、あてのなさそうな旅、となれば盗難紛失破損の可能性は非常に高く、返却されたカメラは心なしかうす汚れた気がする。潮の知り合いということは、アジアや中東や南米のディープなところに行っていそうだし。
「機材って基本おもちゃなんだよなー、これがないと仕事にならねえっていうのはひと握りで、あとは手に入れてひと通り触って把握したらもう納得して満足みたいな……あ、国江田さんは違うからな?」
「言われなくても分かってんだよ!」
「貸しっぱで、貸したことも忘れてて、つうか存在を忘れてた」
家がらみでごたごたし始めていて落ち着かず、半径30センチ圏外のことには上の空な時期だったらしい。だから、潮の中ではもう返さなくていい餞別として無意識に処理されていたのかもしれない。
「で、先月帰国したけど電話番号とか変わってて連絡取るのに苦労したってメールがきたのがきのう、久々に会って返してもらったのがきょうの昼間––––これと一緒に」
潮が親指と人差し指でつまんで示したものを見て計は目を剥いた。
「おま、それ、SDカード」
「挿しっぱにしてた」
挿しっぱってそんなあっさりと、だってそん中にあるのはあれだろ?俺とお前と皆川の酒盛りと……待て、あれは撮ってない、結局撮られてない、大丈夫、いやそんなわけあるか。頭の一分だけでもじゅうぶんにとんでもない爆弾なわけで。
「どーすんだよ‼︎」
「え、何が」
「何がじゃねえだろ、その知り合い、今すぐ始末してこい!」
「なにマフィアのボスみたいなこと言ってんだ。見てないって」
「何で分かるんだよ」
「だって借りもんのカメラに入ってるメモリーの中身なんか普通見ねえだろ」
計の焦りが本当に理解できないようにきょとんとして答える。
「えっ……」
「え、お前、見んの?」
「いや……」
どうだろう、あれか、携帯見るか見ないか的な、そりゃ良識として覗くものじゃないけど……。
「あ、見るんだ、へ〜、そゆとこあるんだ〜」
「俺の人間性に問題があるような言い方はやめろ」
「知らんふりできるやつじゃないから、まじで見てたんなら会った時言ってるよ。つうか見たところで、酔っ払いがバカやってるだけじゃん」
「バカがバカやってるぶんにはよくても俺はよくねえんだよ!」
「テレビ家にない派だから、国江田アナの顔も知らないと思うし」
「とにかくうかつなもん保存してんじゃねえよこの間抜け!」
「はいはいごめんね」
「もっと謝れ、丁寧に詫びろ」
「というわけで懐かし映像見ようぜ」
「おい聞いてんのか」
都合よく文句をミュートして潮はロールスクリーンの前に計を引っ張っていった。どう考えても再度鑑賞したいようなしろものじゃないが(しかも大画面で)、たぶんこれが終わらないとごはんにありつけないのだ。渋々床に置いたクッションに腰を下ろし、プロジェクターのセッティングを待つ。
「電気消すぞ」
「早くしろ」
プロジェクターが白いスクリーンを発光させ、つかのまの空白の後でちいさな媒体の中の記録を映す。

『……ちがーう!』

ああ、これこれ。今見てもバカandバカandバカ。どうして労働の後にこんなものを視聴しなければならないのかと不服だったが、覚えのある会話が流れるうち、目が離せなくなった。
壁の色、こんなだったっけ。照明の感じ、ベッドのフレームのかたちや高さ。人間の重みで軋む時の音。もう存在しない、潮の家の断片もそこには記憶されていた。

『わざわざ撮んなくても、ぜんぶ覚えてるから』

潮はVTRの最後にそう言う。計だってそう思った。覚えてるし、と。でもそうじゃない。うすれるんだ。忘れるんだ。たったの一年やそこらで、いつも傍にないものはこんなにあっけなく。玄関から階段までは何歩? 階段は何段? 天井の高さは? 窓の大きさは? イメージは曖昧になり、覚えている「つもり」しか抱いていられなくなる。
忘れることの痛みは、忘れたことを知った瞬間に走る。だから胸が痛くなり、計は潮の肩にぐいぐい頭を押しつけた。潮がやさしく頭を撫でる。
「……残ってて、よかったな」
かすかに頷く。髪に何度も指が通り、まだ国江田さん仕様だったセットがどんどん崩れて潮だけの計になる。
「この家も、この先またリフォームするかもだからなるべく撮っとこ」
また頷くと、「じゃあさっそく」と潮は再生を停め、腕を頭から肩に移動させる。ぐっと抱き寄せられて「おい」と慌てた。
「早くしろって言われたしな、さっき」
「そーゆー意味じゃねえだろ! だいたいこんな真っ暗で何が撮れんだよ!」
「電気つけるつける」
「やめろ!」
新しい日々と引き換えに失くしてゆくものが、きっとこの一秒ごとにだってある。確かなのは、その歩みの中でひとりじゃないって、それだけ。


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