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「ふったらどしゃぶり 完全版」発売記念こばなし。本編読了後にどうぞ。※旧版にはない内容を含んでおります。

そういえば分かったんですよね、と一顕が言った。
「気球の場所」
「なんの話だっけ?」
整が尋ねると、眉根を寄せてため息をついた。
「これだよ……」
「うそうそ、覚えてるよちゃんと、眼科の気球だろ?」
「半井さんて、絶妙に薄情そうな感じが似合うから、冗談に聞こえない」
これは悪口?それともひねくれた褒め方?いずれにしても整はちゃんと覚えていた。当たり前だ、自分で口走ったのだから。著しく情緒不安定な夜の世迷言だったので恥ずかしいし、それを一顕が記憶していたことも恥ずかしい、でも、あの時点でどうなる予感もなかったはずなのに、寝言に等しい駄々をちゃんと覚えていてくれたのが嬉しい。
「眼球の屈折率とか見るんだって」
「ふーん、よく分かんないけど」
「で、あの道路と気球はどっちも写真だけど合成で、道路は、アリゾナのどっか」
アリゾナ、という地名を口の中で転がしてみる。生まれて初めて発音したんじゃないだろうか。
「……なんか、ぽいな」
現地を知らないし、行ったこともないし、何なら地図上の位置すら曖昧なのに、あの道がアリゾナ、と思うととてもしっくりきた。
「原野感が、そんな気しますよね」
と一顕も言う。
「アリゾナって何がある?」
「えーと……グランドキャニオン?ラスベガスは隣か」
「よし、じゃあ行こっか」
「えっ」
「俺、飛行機なら乗れるし」
だとしても、現地では車移動必至だし、でまかせに過ぎないのだが、一顕は「俺、飛行機やだなー」と案外まじめに弱った声を出す。
「そうなの?」
「乗れって言われたら乗るけど、閉塞感が嫌い。目的地に着くまで絶対降りられないんだって思うと息苦しくなってくる。電車とか車だと、何とでもなるじゃないですか。別に実行しなくても、安心する」
「萩原らしいね」
「そう?いや、ほんとに、乗れますよ、恐怖症とかじゃなくて、気が進まないってだけ。まじでアリゾナ行きたいんならいいすよ」
「なにむきになってんだよ」
整は笑った。
「なってねーし……つか、気球の景色を探せ!とかバラエティの企画みたい」
「いくらでもありそうだしな」
シーツの中でごろりと寝返りを打ち、一顕に向き直ると、言った。
「ここにいればいい、って思えばいいんだよ」
「え?」
「どこにも行けないって思うから苦しいんだろ、発想を変えるだけ。ここにいて、待ってればいいんだって。楽じゃん」
「……ああ」
そんなにふかい意図があって言ったわけじゃない、でも、一顕は「そっか」とつぶやいて整を抱き寄せた。
「雨宿りみたいなもんか」
「うん」
今みたいに。雨音がやまないから、ここにいる。ここにいていい。ここにいてくれ。

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