見出し画像

やさしいきもち

(「ステノグラフィカ」西口と碧・節分こばなし)

夜行っていい?とメールすると、碧の返信には「きょうは節分をしますがいいですか?」とあった。え、節分って、豆まくの?全然いいけど。

お邪魔すると、碧は炒り豆じゃなくて落花生を用意していた。

「このほうが回収が楽ですし、衛生的なので」
「で、これをまく?」
「そんなに本格的じゃないです。何となくベランダにささっと投げてお茶を濁すというか……」
「毎年やってんの?」
「実家にいた頃からの習慣だったので」

意識したことがなかったが、年に一度のこの日に会うのが実は初めてだったらしい。知らなかった。

「そんなかわいいこと毎年やってたんだ、もっと早く教えてよ」
「かわいくはないです、豆を投げているだけですから」

ときまじめに否定されたが、律儀にひとりで節分を遂行するところも、それの何が「かわいい」のかちっとも分かっていないところもかわいいのだった。そういえば、節分なんていつぶりにするだろう。「豆は年の数だけ」と言われてももはやそんなにも食べたくないお年頃だ。
窓を開け、部屋の中からベランダに向かって殻付きの豆をぽいっと放る。ご近所の迷惑にならないよう、ちいさな声で「おにはーそとー」と言うと、碧も復唱した。でも「ふくはーうちー」と言っても、「鬼は外」が返ってくる。

「福は?いいの?」
「はい」

碧はすこしはにかんで答えた。

「おかげさまで健康で、足りないものなく暮らしていますから、じゅうぶんです。福は内、なんて欲張ったらいけない気がして。抱え込みすぎないようにしないと。だから、自分の家族や、すみれさんや……松田さん––––杣友さんが、元気でいてくれますように、と思うようにします」
「い、いい子~……」

ついそんな感嘆が洩れた。

「子、という年齢じゃないですよ」
「いいんだよそう言いたいの、かわいいと一緒なの」
「それによくもないです。おこがましいというか、ひとりよがりな思い上がりでしょう」
「いやいや、俺なら、そんなふうに思ってもらえてるって知ったら嬉しいよ。碧は優しいな」

ベランダに、その先の闇に向かって双子の豆を投げ、碧は「そんなことありません」と答える。

「––––優しいんだとすれば、西口さんがいてくれるからだと思います」
「じゃあもっといるよ」

とすぐさま抱き寄せようとしたら「外から見えますよ」と腕を突っ張られた。

「よし、閉めよう」
「駄目です、まだ節分が残ってますから」
「まだって?」
「落花生を拾います」
「ふんふん」
「砕いていわしとソテーして食べます。巻き寿司はもう作ってあります」
「ああ、腹減ったな」

碧は笑った。西口の「腹減った」と「うまい」を聞くと嬉しいらしい。節分を優先することにして、でも、ベランダにしゃがみ込んで落花生を回収する時、唇のつまみ食いはした。

「ええと、今年の恵方は……このへんかな?」
「あ、コンパスで見ようか」
スマホの方位磁石を起動すると、「え」と驚かれた。

「そんなことができるんですね……どうしよう、僕もスマホにしようかな……」
「え、そこ?」

アプリにもSNSにも無関心なのに、意外なところに食いついてくる碧もまた、かわいい。さあ、早く食べてその後の幸せな行事をしましょう。春の始まりにふさわしいやつを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?