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September Blue Moon(2019autumn)

(※雑誌ダ・ヴィンチ2018年11月号に掲載された掌編「STILL LOVE ME?」のその後です。低温寄りのいとこ同士の組み合わせ。もし雑誌をお読みになりたい場合はバックナンバーをお取り寄せいただく、図書館で探す……かな?)

ミナミで行われた友人の結婚式に出席し、その足で一史(いちふみ)のマンションを訪れた。「そんなかっこで?」
麻のジャケットを羽織り、Tシャツにジーンズ姿の温(おん)を見て、一史は驚いていた。

「わざわざ着替えてきたのか?」
「いや、会場ライブハウスやったから、むしろカジュアルコードがあった」
ネクタイ、ハイヒール、着物NG。
「楽でいいな」
「うん。人前式で、進行もめっちゃ適当いうか、まあ、飲み会とそんな変わらへん感じ」
「正式な披露宴は?」
「なし」
「ふーん、最近はそういうフリーダムなのが流行ってんのか」
「何や、そんなおっさんみたいなこと言うて」「四十歳がおっさんじゃなきゃ何なんだ」
「ほな俺もおっさんや」
「温は違うよ、まだ」
若者とおっさんのラインを引く権限を一手に握っているかのように断定する。四歳しか違わないのに、釈然としない。
「それどういう基準」
「何となく」
「流行りは知らんけど、きょうの連れの場合、両方の親族に反対されてるから」
壁のフックにジャケットをかけ、「もらうで」と断って冷蔵庫から麦茶を取り出した。九月の上旬なんて、まだまだ夏だ。
「俺のぶんも」
ふたつのグラスに麦茶を注ぎ、ソファにいる一史の隣に腰を下ろした。
「ありがとう––––そんなに障害の多い結婚なのか」
「障害いうか、いとこ同士やねん。それで、よく思われへんかったて聞いてるけど」
「新規の親せきづき合いが生まれなくて楽なのに」
「んー……そこはまあ、感覚やもんな。どっちの親も、生理的に無理ってなったらしくて、まあ、もう駆け落ちみたいな」
温と一史もいとこ同士だが、もしふたりのことが知られたとして、問題視されるのは血縁より性別に決まっているから境遇は似ているようで違う。
「感覚で拒絶されたらもう打つ手がないな」
「せやな、法律で認められてるって頭で分かっとっても。ふたりの、子どもの時からの距離感とか、親同士が同性のきょうだいか異性かでも違ってきそう」
温はひとりっ子で、「きょうだい」という存在の実感も湧かない。一史が自分の兄だったら恋愛感情は存在しなかったのだろうか。絶対に?

「双子同士の間に生まれたいとこは?」
欲しがった言ったわりに、一史は麦茶を飲もうとせず、汗をかいたグラスを手の中で弄んでいる。とっくに飲み干してしまった温は、お代わりを注ぎに行くのが面倒なので、飲まへんのやったら俺にくれ、と思った。
「一卵性ってこと? したら、遺伝子的には半分きょうだい? それはやばい感じあるな」
「もっと言えば、二組の親が一卵性双生児同士のカップルだったらそれはもう全部きょうだいだろ」
「そんなケースあるかな。テレビつけてええ?」
「どうぞ」
ローテーブルの上のリモコンに手を伸ばして電源を入れると、ちょうど夕方のニュースをやっていた。「9・11からもうすぐ18年」というテロップが画面下部を横断していたので即座に消す。この時期のテレビは危険や。
「はや」
一史が肩を揺らして笑う。我ながら過敏すぎるとは思ったが、知らん顔で一史と並んで見るほうが無理だ。それちょうだい、と麦茶を催促すると、手渡されたグラスはもうぬるい。ぬるいから、一杯目より甘い味がする。一史は水滴で濡れた手のひらを見やり、なぜか温のジーンズの膝でごしっと拭いた。
「何でやねんな」
払いのけるともっと笑った。
「おっさんのくせして子どもっぽいことすんな」
些細ないたずらでわざと温を怒らせるのが好きらしく、ちょっと席を立った間に携帯を隠したり、道で受け取ったポケットティッシュをかばんの中に放り込んできたりする。温はもちろんそのいちいちに本気で腹を立てたりしないが、もし同じことを一史にやり返したら、と想像すると怖くなる。無視か、ひどく冷めた反応が返ってきそうで。どこかで一史を信じていないのかもしれない。一史も温を好きだということを。

十七年越しの告白の返事をもらったのが去年で、それ以降も、関係に大した変化はなかった。会う頻度が上がって何回かに一回キスするようになったくらいか。それもいつもさらっと、熱さもしつこさもなく流れていく。温自身、強烈にどうこうしたいともされたいとも思っていなかったし、それこそ「結婚」のような分かりやすいチェックポイントがあるわけでもないから、こんなもんかと接しているうちにまた九月が巡ってきて、隣に一史がいる。
「––––ふたご」
一史がつぶやいた。
「の、きょうだいがひそかに存在しててさ、死んだのは片割れのほうだったら、ってよく考えたよ」
あの日あの場所で死んだ、一史のかつての恋人の話だった。遺体も残らない死に方、と去年一史は言った。でも死亡自体は確定事項なのだろう。いまだに犠牲者のDNA鑑定が続いている中で、その揺るぎなさは一史を苦しめたのか慰めたのか、温には分からない。
「そんで?」
死んだのは同じDNAの別人(精密な鑑定をすれば見分けられるのかも知れないが)、からくも難を逃れた当人は、一史の想像の中でどうするのだろう。当時、もうひとりの女と三角関係で、もっと言うと一史は振られる手前だったらしいが、死の危険を目の当たりにして、本当に大切な相手に気づき、一史を選び直す––––空想だからいくらでも都合よく運ぶ。

生きる、と一史は答えた。
「死んだことになってるのを幸い、どこか遠くで別人として生きる。それがどんな人生か、までは思いつかないな、発想が貧困だから」
「一史、アホやな」
「知ってる」
「戸籍とか住民票の制度ってアメリカでもあるんやっけ?何にしても、身分証明書がいっこも使われへんかったら苦労するやろな」
「フィクションだからな」
「分かっとるわ。双子オチなんか推理小説でもあかんやつ」
一史の膝を叩いたら思いのほか勢いが強くて、手のひらがじんじんした。
「……ノンフィクションであってほしかったフィクションやろ?」
「そうかも」
叩かれたところを軽くさすって一史は遠い目をした。去年、いったいどんなきっかけがあったのか、従兄は初めてグラウンド・ゼロを訪れ、そして帰ってきた。それですっきりしたとか吹っ切れたとか、温には言えない。降り積もったまま外に出せない思いはまだたくさんあるのだろう。衣替えみたいに切り替えられるわけがない。ただ、去年は言わなかった胸のうちを今年話してくれた。すこしだけほっとする。
「温、腹減ってる?」
「普通」
「じゃあ軽く飲みに行こう。おごるよ」
楽しくない話をしてしまった、罪滅ぼしをしなければと思ったのかもしれない。「アホやな」ともう一回告げると温はグラスを両手に持って立ち上がる。
「宅飲みでもええんやで」
「麦茶と海苔しかない」
「ああ、そうや空っぽやった」
「きのう届いた災害用の保存食ならある」
「今食うたらあかんやつやないか」
「二十五年保つらしい」
「まじで? すごいな。てことは、人生であと一回買うかどうかやな」
六十五歳と六十一歳。でも何があるかなんて分からへんしな、と口に出さずに思った。

四ツ橋から、心斎橋に向かって地下のクリスタ長堀を歩いていると後ろから「永田さん」と声をかけられ、どっちも永田なので同時に振り向くと、温の知らない男だった。
「ああ久しぶり」と一史が応じる。
「どうしたの、きょうは」
「ちょっと友達に会いに戻ってきてて。そっち、みんな変わりないですか」
「うん」
どうやら会社の同僚らしい。ちょっと距離を置いて目をそらすと、横を通り過ぎた外国人観光客のバックパックから、タオルハンカチがひらりと落ちた。ポケットが開けっ放しだ。
「あ、すいません、落ちましたよ」
日本語で声をかけ、手渡すと「Thank you」の後に何かをべらべらっとまくし立ててくる。え、何や、どないしよ。まったく聞き取れない。
「えーと……」
このリアクションで分かってくれ、と念じながら曖昧に手を振っていると、一史が急に割って入ってきた。そして流暢な英語で(温の耳には)対応し、彼らは満足したのか「bye」と笑顔で離れていく。何やいったい。温が面食らっていると、さっきの同僚が「えー永田さんすごいっすね」と声を上げた。
「俺英語全然できないとか言ってたのに、ぺらぺらじゃないっすか。騙されてた」
「去年アメリカ行ったから、旅行前に急いで勉強したんだよ」
「いやそれ天才ですやん」
一史は苦笑し、「行こう」と温に促す。
「ありがとう、助かった」
「気をつけろよ」
「何が?」
「わざと落しものしたふりして、あれがない、盗んだんだろうって吹っかけてくるの、よくある手口だから」
「それ、外国行った時の話ちゃうんか」
先を行く背中は答えない。めっちゃぐいって割り込んできたよなあ、と温は思い返す。いつも浮世離れして見えるくらい所作が悠長で、こっちが焦ったりちょっといらっとしたりする時もある、この従兄が。
「今、心配した?」
英語を話せることを、知られたくなかったんだろうに。
「当たり前だろ」
あまり感情を見せない一史が、これも珍しく、怒ったように言った。温は、一史に何度も訊かれたように訊きたくなる。

俺のこと好きか、と。

でもそれは言わずに、「さっきの結婚式、バンドも来とって、『セプテンバー』やってくれたんや」と話しかけた。
「九月の歌かあ、って、俺、ずっとあんまり好きちゃうかってんけど、ちゃうねんな。友達が教えてくれた」
「九月のことを思い出してる十二月の歌だろ」
「そう」
十二月になったら、九月のきょうをどんな気持ちで振り返るだろう。あと二十五回のセプテンバーがほしいなあ、と強く思う。

––––あれ、保存食もう賞味期限切れる。新しく買い直さないと。
––––ほんならきょう、それ開けて食お。届いたばっかりの時のこと、覚えてる?
––––覚えてるよ、九月だろ。
––––あっという間やな。
そんなセプテンバーがほしい。地下街から地上に出ると、ビルとビルの間で青っぽい月が待ち構えていた。一史が「きょうはキスじゃないこともしてみようか」と言う。

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