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陽の当たる大通り

※「メロウレイン」発売記念こばなし。

五階建ての商業ビルの最上階にあるカフェに入ると、窓に面したカウンター席からは敷地の中庭が見下ろせた。眺めのよさを謳う店は大抵高層からのパノラマビューや夜景を売りにするけれど、神さまみたいな視点より、このほどよい高さは却って新鮮かもしれないと思った。生活の実感が近い。行き交う人は豆粒じゃないし、噴水のしぶきも、その周りでパンや菓子のおこぼれを狙っててんてんしている鳩やすずめもよく見える。

「萩原、あれ見て」
横並びでコーヒーを飲んでいる一顕に話しかけた。ガラスの向こうを指差す。いちょうの木が黄葉を始めている。陽射しの下、梢のてっぺんは全体が王冠みたいに金色に光っていた。
「ん?」
「上の方から色変わるんだな」
「ほんとだ。下の方と全然違う」
背の高い木の、地上に近づくにつれ葉の色は金色から黄緑、マスカット色に微妙に変化している。そういえば、いちょうの全景をこんなふうに視界に収めるのも珍しいかもしれない。歩道から見上げる時は頂点は分からないし、そもそもありふれた街路樹だからしげしげ観察するという発想にならない。

「やっぱ変わる時って、普通は頭からなのかな」
整は言った。
「どういう意味?」
「そのまんま」
色変わりは頭から、心変わりも頭から。それが本来の順序なのかと。でも一顕はあっさり言った。
「単純に陽当たりの問題でしょ」
「それもそうか」
「俺たち、雨降ってたし。頭からじゃなくてもしょうがない」
なにそれ、と整は笑う。
「何でも雨のせいだな」
「違う違う」
「何だよ」
「雨のおかげ」
整は、雨に当たらない生活だった。それは、陽に当たらない生活でもあったのだと気づく。部屋と会社の往復で、自分から閉じこもって。でも、だからこそ、一顕に惹かれたのだと思う。
「もう行く?」
「うん」

昼の時間はだいぶ短くなったけれど、暗くなるまでにはまだまだ間がある。きょうは明るいところをたくさん歩きたい、と整は思った。目的はなくていい。ただ、隣に並んでとりとめなく足の向くままに。疲れも知らずに軽く。一顕の肩に、いちょうの葉がひらりと落ちてきてくっついたけど、言わないでおく。陽の当たる場所でたくさん過ごして、夜になったらすこし色が変わっていたら楽しいと思うから。

夜になるまでに、整がまた、もっと一顕を好きになっているように。

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