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海を見に行こう(2017autumn)

※コミコミスタジオさんのコラボカフェ特典だったSSカードの掌編とすこしリンクしております(未読でももちろん大丈夫です)。

「萩原、きょうは俺におごって」
ふたりで飲んでいると、整が唐突にそう言った。
「……いーけど、別に」
一顕はきょとんと答える。
「金欠? 珍しーね」
営業の一顕より額面はすくないにせよそこそこもらっているだろうし、飲み代が捻出できないはずはないと思うが、大きな家電でも買ったのだろうか。

「そうじゃなくて、俺が勝手に立て替えてるから」
「えっ」
自分のあずかり知らぬところで、整に何らかの請求が?ますます疑問を深めた一顕に整は「夏祭りの協賛金」と言う。
「ごめん、俺酔ってんのかな? ぜんぜん意味が分かんない」
「去年、俺の部屋で、祭りの山車一緒に見たの覚えてない?見たっていうか、目撃したって感じだけど」
「ああ、うん」
「何かいいなあって思って。地元の、ああいうの。俺、宗教は嫌いだけど、世界じゅうの、観光客がくるわけでもない、ちっさな祭りとか儀式で、いろんなものが何とか保たれてる気がするんだ」
「うん」
整の言葉は時々突飛というか不可思議で、一顕は今でも十全に理解できている自信はないのだが、それでも、整の顔、整の口から出ると、すとんと胸の中に落ちてくる感じがした。
「でも参加できるわけじゃないから、五千円ずつ出した。俺と萩原の名前で」
「ふーん」
俺、住んでないんだけど……と思ったが、整の楽しそうな顔を見たらそんな無粋は言
えなかった。まあ、そういうことがやってみたかったのだろう。餅まきとかおひねりと似たような楽しみか?

「領収書もらったから、寄付の名目で確定申告する?」
「いや、いーよ、めんどくさい」
「再来週、神社で夜店あるから一緒に行こう」
「協賛金出したから、ビールとかくれる?」
「名札出してくれるよ。出資者一覧みたいなの」
「あー、あるね」
「三万出したら名前入りのちょうちんぶら下げてくれるらしいけど、さすがにそれはなーって」
「ふるさと納税の返礼品みてえ」

財布の口に合わせたさまざまな特典。もっともちょうちんなんか、使用後にもらってもな、という話ではある。
そうか、あれはもう一年近く前か、と軽い驚きがあった。整とふたり、部屋の窓からおもちゃみたいな山車の歩みを眺めていたのは。気づけば、歴代のどの恋人より長く続いていて、すぐ駄目になると思っていたわけじゃないけれど、それにも驚いてしまう。お互いのさまざまな感情のピーク時に、いちばん濃い交流から始めてしまったものだから、言うなれば映画で恋人同士を演じた役者が本当につき合ったけれど結局すぐ別れてしまったみたいに、非日常から日常にソフトランディングするのは難しい。

でも、大小のけんかや行き違いはあれど、順調に続いて、一顕は今でも整が好きだ。
始まりの頃の気持ちとまったく同じではないだろうが、それは酒の味がじょじょに変わっていくようなものだった。今の味をめいっぱい愉しみながら、時間と空気が深めてくれるこの先の味を楽しみにする。整も、きっとそうだと思う。
「見て見て」
マンションの、ドアの前で整が壁に貼られたシールを指差す。祭りの協賛金の、これも返礼品であるらしい。お札を意識しているのか、縦長で、神社の名前と町内会の名前が入って、シルバーの地がやたらきらきらしている。世代じゃないけど、ビックリマンをほうふつとさせる。

「お金出しましたシール?」
「そう」
「貼ってない家がケチみたい」
「そんなのいちいち見ないだろ。ひっそり楽しいだけ。飲み屋にあったりすると、ここも出したんだーって、何か嬉しい」
整の「嬉しい」も結構ツボが難解だ。未だに「え、そこ?」という想定外があって、面白いからいいけれど、こんな微妙に変わった人から見たら、俺なんか発想もリアクションも普通すぎやしないか、と焦りを覚えないでもない。

「……萩原、さっきさ、『自分が』酔ってんのかなって訊いただろ」
ゆるやかにひそやかに整の中へ没頭と没入を繰り返している最中、整が思い出したようにそう言った。
「うん」
「『半井さんが』酔ってんのかな、って言わない」
「え、それが、なに?」
「何でもないけど、萩原のそういうとこが、いいなって思う」
「分からん……」
額をこつんと合わせると、両耳の上に指が這わされ、一顕の髪の毛を愛撫する。ほらまた難しいこと言うだろ、と思ったが、整は整で、たぶん一顕だけにある何かを見出してくれる時、ひどく安心する。

祭りの晩は、曇りだった。ふたりとも夕飯をすませるつもりで腹を空かしていたので、まずソース焼きそばと、氷水の中にぷかぷか浮かぶ缶ビールをひとつずつ買った。なぜひとつずつなのかというと、テーブルがないので両手がふさがってしまうからだ。よって、焼きそばとビールを交換してはせっせと飲み食いした。慌ただしいが、これはこれで楽しい。

次は片手で食べられるドネルケバブの屋台を発見して、ひとりひとつ、コロナの瓶ビールをお供にかじった。かき氷は半分ずつでいいよな、と意見が一致したので、じゃんけんをして負けた一顕が払う代わりに味を決めた。コーヒーの練乳がけ。先が平べったいスプーンになったストローでちびちび氷の山を崩す。

十年後とかにもこんなことしてんのかな、と一顕はふと考える。中年の男ふたり連れというだけでへんな目で見られる――くらいは別にどうでもいいのだが、ロリコンが物色してるとか、その手のぶっそうな誤解は困る。
「萩原、手止まってる。冷えた?」
「いや」
つい今し方の想像を話すと、整はあっさり「そん時は持って帰って食べればいいじゃん」と答えた。
「それもそうだ」
「あ、そうだ、忘れてたよスポンサーのリストを確認しなきゃ」
参道の両側に向かい合って並ぶ屋台の外側に、大きな看板の骨組みみたいなものがこしらえられ、そこにびっしりと木の名札が並んでいた。まじで? と思う有名企業の名前、たぶん地元の工務店や飲食店、それから個人の名前がずらずらと。

「あ、あった」
「萩原一顕」と「半井整」が隣り合っていた。
「萩原、何か気づかない?」
「いや、だから、あるって」
「そうじゃなくて」
「えー?」
一顕が首をひねっていると、整は焦れたようにストローをがじがじ噛んで、「何で名前が並んでるのかってこと!」と言う。
「一緒に半井さんが払ってくれたから」
「ちがーう、よく見ろよ」
「んん?」
相田真、安藤雅之、井上光子……名前の並びにはちゃんとルールがあった。
「あ、五十音順……え? あれ? だったら何で真隣?」
「はぎわら」と「なからい」。順番が違う。整はやけに誇らしげに、やっと気づいたかと笑う。
「俺の名前『はんい』で出したから」
「えっ」
「ネットで調べたら、まじでいるらしいよ、半井さん」
「何で?」
「何でって、どうせなら名札近いほうが嬉しいじゃん。浜田さんとか羽生さんが挟まってなくてよかった。写真撮っとこ」

ああかわいいな、と思った。この人、ずっとかわいい。でも照れくさかったのでどうでもいいことを言った。
「偽名とか使っていいのかな」
「悪いことしたわけじゃねーし。逆に何が心配?」
「いやほら、厄払いとかでも、住所氏名を正確に書かないと神さまが迷うって」
「別にそんなの信じてないから……かき氷、もうしゃぶしゃぶだな、すくえない」
甘い水をふたりで飲み干すと、神社を出た。外の掲示板に「精霊流し」のポスターが貼ってある。

『亡くなった方へのメッセージや、ご先祖様への供物を、想いとともに舟に乗せて川に流しませんか』
今夜、近所の川から流すらしい。
「こういうのって、流れてったあとどうすんだろ」
整が立ち止まってつぶやく。
「どっかで回収してんじゃないかな。そのまま海行っちゃうと、たぶんよくない。ごみになる……って言い方はあれだけど」
もっと昔、祈りや祭りの意味がずっと大きかった時代には、何にも遮られずに海原へ漂っていったのかもしれない。それらは別の陸地にたどり着き、あるいは海中に沈み、とにかく何らかのかたちで自然へと還ることができた。
「そっか」
じゃあ結局、どこにも行けないんだな。そう言って一顕の指をぎゅっと握った。
「……行ってみる?」
頷かないだろうと分かって、訊いた。
「ううん」
「じゃあ、帰ろっか」
「うん」
春の祭りは、豊穣への祈り。秋なら豊穣への感謝、冬は、一年の感謝、そして新しい年への祈り。けれど夏の祭りは、鎮魂の色が濃い。
ぽつ、ぽつ、と雨が降ってくる。夏の闇がじっとり濃くなる。一顕は整と手をつないで歩く。誰かに見られてもいいや、と思った。もしその誰かが友達だったり家族だったりして、自分たちを受け容れられないと言えば、一顕は整だけを選ぶ。たぶん、そんなに悩まないし苦しまない。整を、この手を失うほうが耐えがたいから。けれどその日は必ず来るので、冬眠に備えるくまみたいに、ささやかな思い出を備蓄するしかない。去年の夏も、今年の夏も。来年も再来年もありますように、という祈りさえいつかできなくなるから、今のうちにたくさん思っておこう。

海までたどり着けないだろうけど、その代わり、夏が終わるまでに整と一緒に海を見に行こう。

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