見出し画像

Sugar Hunter

※「Tonight,The Night」のこばなしになります。

自治会を通じてオファーがあり、兄が和菓子の体験教室をすることになった。謝礼は微々たるものだが地域貢献と宣伝を兼ねて快諾し、カルチャーセンターのキッチンを借りて、行うことになった。小学生は保護者同伴、どなたさまでもお気軽にお手軽にどうぞ、なので手間もコストもそんなにかからない練り切りづくりに決定し、全四回の教室はめでたく満員御礼、その中に佑もいた。
「楽しそう。真知も一緒にやろうよ」
「俺は駄目だよ、準備とか手伝わなきゃいけないし」
季節の練り切り、ということで、うちわと朝顔の細工をこしらえて出来上がりを持って帰ってもらう。要は食べられる粘土細工みたいなものだから、白玉粉と砂糖と白こしあんを合わせ、パーツごとに着色料で染めてへらやつまようじで細かいところを整える。佑はちいさい子に懐かれたり奥さまたちに構われたりしながら、楽しそうに作業していた。そして教室が終わると「俺んちで味見しよ」と寄ってくる。
「あ、でも俺片づけが」
「手伝う手伝う」
「いいよ真知、行ってこい。片づけなんかすぐ終わるから」
兄が勧めてくれたが、そういう時に佑は「すぐ終わるんならむしろみんなでやりましょうよ」とさくさく動くのだった。いいことをする時に遠慮しない、というのは案外難しいので佑ってえらいな、と真知はこっそり思う。
でも、電車に乗ると、膝の上のビニール袋を何度も覗き込んで「俺結構上手くない?」とその都度言ってくるあたりは子どもみたいでほほ笑ましい。
「上手い上手い」
「あー適当に言ってる!」
「そんなことないって」
「真知は毎日、おじさんたちの作ったもの見てるから目が肥えてるんだよ」
「そりゃ、父さんたちは仕事なんだから」
「これが仕事なんてすごいな」
と佑は屈託なく笑う。
「一個一個手で作ってんだもん。俺だったらぜんぶかわいくて売りたくなくなっちゃうのに、おじさんたちえらい」
「それじゃ仕事じゃないじゃん」
「そう、だから和菓子職人にはなれない」
父の手や指の中でこしらえられる菓子を、それこそ真知は数え切れないほど見ていた。凝った細工も繊細な意匠も、売りものだから当たり前。それはそうだ。でも、器用だなと感心はすれど、こんなふうに、佑みたいにまっすぐな称賛を向けたことがあっただろうか。
「佑は、すごいな」
「え、何で?」
「秘密」

佑が、家の扉を開けると、ちょうど階段のところに佑の母がいた。真知は申し訳ないけど彼女のことが未だにちょっと苦手で、でも佑は明るく「ただいま」と声をかけた。
「和菓子作ってきたんだ、四つあるから、母さんと浦川さんも一個ずつね」
「夏休みだからって子どもみたいなことしてるのね」
ああ、ほら。仏頂面でこういうことを言うから。心が翳ったのを顔に出さないように努める。
「真知、先に部屋行ってて。お茶持ってくる」
「あ、うん」
ぺこりと頭を下げて佑の母とすれ違い、部屋に入って扉を閉めた時はため息をついてしまった。佑が平然としているのが救いではあるけれど。
「お待たせ。真知、うちわと朝顔どっち食べる」
「えっと、じゃあ、朝顔。……いただきます」
「どう? どう?」
「おいしいよ」
「ほんとにー?」
「おいしいって、ていうか、いつもうちで食べてる味だからほっとする」
もちろん、甘みの均質さとか、舌触りは店の商品とは段違いだけど。
「よかった」
佑はつめたい緑茶をごくごく飲んで真知の顔を覗き込む。
「真知、元気ないね」
「え、別に」
「うそ。……ひょっとして、さっきのやりとり気にしてる?」
お見通しらしいから、無駄な抵抗はやめる。
「……ちょっと」
でも、本人が気にしていない以上、あまり真知が憤ってもそれは「親の悪口」になってしまうのが悩ましい。
「佑のお母さんの性格は知ってるつもりだけど、それにしても、もうちょっと言い方考えてくれたらいいのになーって……」
「ありがと、真知。嬉しい」
佑は、真知の手を握ってにこにこ笑う。
「でも大丈夫、いいもの見せてあげる」
「いいもの?」
「うん、あと十五分くらいかな?」
どういう意味だろう。「まあまあ」とかわされているうちに十五分が経過すると、佑は人差し指を唇の前で立て「今からしばらく静かにして」とささやいた。そして、慎重にドアを開け、廊下を伺ってから真知を手招き、泥棒じみた足音で階段を下りていく。真知はわけが分からないまま佑に従う。
ダイニングとつながる扉のドアノブを佑がそろそろひねり、わずかに隙間を作ると、話し声が洩れてきた。
「……じょうずに撮れないわ」
「お皿を変えましょうか」
佑の母、と浦川さんだ、この声は。
「駄目よ。朝顔だから、この、緑色のガラス皿がいいの」
「はいはい」
「そうだわ、お庭で撮りましょう。自然光がいいと思うの」
「まぶしすぎませんか?」
「木陰ならきっと陰影が素敵よ」
真知は思わず佑をまじまじと見つめる。佑は「ね?」と唇の動きだけで言い、おかしくてたまらないというふうに顔をくしゃくしゃにした。
行きと同じく忍び足で部屋に戻ると「ああいう人だから」と佑が言う。
「うん、よーく分かった……」
「扱う、って言ったら言葉悪いけど、把握しちゃえばすごく楽な母さんじゃないかな。めんどくさい人だけど、父さんこういうとこがかわいいんだろうなって最近ちょくちょく思うようになった」
前後十歳くらいの幅を自由に行き来する佑は、すっと大人びてみせる。ああ、あのお父さんによく似てるな、とまぶしい気持ちで目を細め、はっとしてしまう。お父さんの好みが理解できる、ってことは、佑も本質的にはああいう感じの子が好きなのかな。近づいたら引っかくけど見てないところで甘えてくる猫みたいな。佑なら別にむかついたりせずに受け止めてあげるんだろうし……。
「真知」
佑が呼んだ。
「はっ、はい」
「また何か考えてる」
「……何でもない」
「ふーん。じゃあ俺が何考えてるか当ててみて」
「『じゃあ』の意味が分かんない」
「いーの!」
ほら、こうして子どもに戻るんだ。扉を背にした真知をやすやすと腕の囲いに閉じ込めながら。キスされたら何も言えなくなるんだけど。
「–––––お菓子の後のデザート頂こうかなって」
「糖分とりすぎ!」
「大丈夫、頂きながらカロリー消費するし」
「バカ……」
デザートの耳は、食紅を混ぜたこしらえものみたいに赤い。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?