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今年の土用は二回

※「ステノグラフィカ」西口と碧

『おはようございます』

土曜日の朝、碧からメールが届いた。
『きょうは何時頃までお仕事ですか?』
『きょうは休み』
深夜まで飲んで、ベッドに沈没して、喉の渇きで目が覚めたところだった。
『では、よかったらうなぎを食べに来ませんか』
『行く行く。いつが都合良い? 夜?』
『いつでも。早いうちが新鮮ですし』
『え、じゃあ今からでも?』
冗談半分で送ってみると「もちろん」と返ってきた。すげえ、モーニングうなぎだ。飲んだ翌朝はむしろ腹が減っている健やかな仕様の胃は、もちろん大歓迎の姿勢だった。あ、あした土用じゃん。先月スルーしちゃったし、ちょうどいい。


超特急で身支度をして碧の家に向かう。
「早く目が覚めてしまったので、思い立って築地に行ってみたんです。それで、おいしそうなうなぎがあったので」
「なるほど」
「あ、すみません、ちょっと時間がかかるかもしれないです」
と前置きして、冷凍庫から取り出したのは、丸ごとそのままのうなぎだった。
「えっ……」
「一応、魚屋さんに方法は教わったんですが、初めてなので」
早いうちが新鮮、と確かに言われた。
「……生きてんの? それ」
「うちに持って帰ってきた段階では」
碧はいともさらりと答えた。
「三十分ほど冷凍庫に入れておくといい、と言われたので。解凍されたらどうなるんでしょうね?でも動かれたら困りますから」
「そ、そうですね」
碧は作業台に新聞紙を敷き詰め(お役に立てて幸いです)、その上にまな板を置いてごろっとうなぎを横たえると、何の覚悟も力みもなく、千枚通しをうなぎの頭部に突き刺して固定した。わ、わあ。
「西口さん、ちょっと離れていてください。うなぎの血には毒があるそうなので」
「え、君は大丈夫なの」
「はい」

傍にいて集中を削いでもいけないから、おとなしく卓袱台の前に座って待機する。台所からは、ざく、とか、ごり、とか何ともいいがたい、こう、「血肉のある有機物に刺さった」音がしてくる。西口は特に血が怖いとか食にまつわる殺生を嫌悪するわけではないが、自分ができない分野だし、碧のちゅうちょのなさに、ちょっと圧倒される心持ちではある。ついこの前、牡蠣の殻を外した程度で得意がっていた自分を殴りたい。
「難しい?」
「いえ」
手元から目を離さず、碧が答える。
「身体のつくりが単純ですから、猪なんかに比べると断然楽です」
何てかっこいい台詞なの。
しばらくすると、滞りなくさばかれたに違いないうなぎはグリルに投入され、たれを煮詰めるにおいもしてきた。あー、腹減ってきた。
「いいにおいだね」
「そうですね、頭と中骨を入れると、やっぱりこくが出ますね」
「は、はい」
かくして食卓に並んだモーニングうなぎ、白焼きと蒲焼きと肝吸いは言うまでもなく美味だった。うまいに決まっているのに「うまい」と言うと、いつも碧はほっとしたように笑う。
「ありがとうございます」
「いやいやこちらこそ」
「二、三尾さばけばだいぶうまくなると言われたので、また頑張りますね」
「いやそれ以上うまくなってどうすんの?」

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