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Eggs’nThings(2019winter)

※「ステノグラフィカ」西口と碧。同人誌「ビューティフルモーニング」とすこしつながっています。

きょうは俺が休みだし、夕飯の用意するよ、と西口からメールがあった。珍しい、というか初めてかもしれない。ひとり暮らしの時代も、短い結婚生活の間も、何しろ多忙かつ不規則な毎日だったから外食かテイクアウトがメインだったらしく、西口の家のキッチンは碧のマンションより立派なのに稼働率がひくかった。今は碧が作ったり作り置いたり、こちらも料理が好きだからなんの不満もないのだが、あの人がいったいどんなものを食べさせてくれるんだろうとわくわくした。長時間煮込んだカレーやシチュー、それとも本格的なラーメンとか? だしを引いたり魚を捌いたりするよりは豪快に肉を焼きそうな気がする。じゃあローストビーフあたりかもしれない……デザートに買った巨峰を手に、あれこれ楽しく想像してお邪魔すると、もう盛り付けまで終わっていた。

「すみません、すこしは手伝おうと思ってたのに」

「あ、いや、全然。お疲れさま」

「……すごい、ごちそうですね」

テーブルには深皿にどっさりの煮込み料理がでんと待ち構えていた。骨つき肉と野菜がたっぷり、でもカレーでもシチューでもなく、碧が初めて見る品だった。洋風ともアジアンとも言いきれないふしぎないい香りも。別の皿には、やわらかな象牙色のクスクスも。

「座って。ワインでいい? そんなにこってりしてないから白のほうがいいかな」

「こんなの作れるなんて、西口さんって実は料理がおじょうずだったんですね」

予想外に本格的で驚いた。クスクスなんて、碧は何かに使おうと思ったことさえない。仕事柄、いろんな店に行くだろうから、こういう知識も増えるのだろうか。基本的には祖父母仕込み、あとは我流と、雑誌や新聞に載っているおかず、スーパーに置いてあるレシピカード、という自分のレパートリーがすごく狭い気がしてきた。西口さんは、いつもうまいうまいとよく食べてくれるけど、そんなのは当然のマナーのひとつかもしれない。

「違う違う、俺が作ったんじゃないよ」

「え、でも」

「だから、メールにも『用意』って書いてあるだろ? ネタばらしすると、静がおかず作りすぎたってお裾分けしてくれたの、俺の仕事はあっためて皿に空けただけ。料理の名前は聞いたけど忘れちゃった」

「あ、そうなんですか」

ちょっとほっとして、数回会った、西口の同僚の顔を思い浮かべる。知的で穏やかな物腰の静良時がゆったりと鍋の番をする、確かに似合う。味見してちょっと首を傾げたり頷いたり、時々本を読んだりなんかしながら。煮込みなら量を作ったほうがおいしいし……にしても、多すぎないか。

「ずいぶんたくさん作られたんですね」

碧の疑問に西口も「そうなんだよ」と同調した。

「料理が特に好きとか得意とか聞いたことないし、どうしたんだよって訊いてもまあちょっと、みたいに濁すし」

「ホームパーティでもされたのかもしれませんね」

「え、それなら呼ばれてないのショックなんだけど……」

「いえ、僕の勝手な想像ですから! あっ、ワイングラス出しますね!」

肩を落とした西口の背中をさすって食卓につく。スプーンでそっとスープ部分をすくって口に運ぶと初めての味で、でも間違いのないおいしさだった。なじみがないはずなのにどこか懐かしいというか、しっくりくる。煮込み料理に共通した安心感なのかもしれない。

「おいしいです」

「うん、うまいな、どこの国料理かも分からんけどうまい。あ、クスクスはスープにつけて食べるんだって」

「なるほど、ちょっとおじやっぽさがあっていいですね」

もちもちとつぶつぶの両方を味わえるクスクスも、米とは似て非なる近縁感が楽しい。

「あと、謎調味料ももらった。これちょっと足すと味が変わっていいらしい」

差し出されたチューブには「HARISSA」と書いてあった。唐辛子のイラストが目立つから、きっと辛いのだろう。

「ふしぎですね、静さんはどこでこんな料理を覚えたんでしょうか」

「さー……何でもできる、つうかできないことがなさそうなタイプだから、意外な特技があってもあんま驚きはないんだけど」

「そうですね、きっと料理される姿もさまになりますよね」

結局、何も足さずに食べきって「ああおいしかった」と手を合わせる。

「今度、静さんにレシピを聞いてもらえませんか? 僕も自分で作ってみたいです」

わかった、と快諾してくれるものだと思っていた。もっといえば、ほんと? 楽しみだな、と喜んでくれると。でも西口は「あ、うん、また今度ね」と微妙に視線を逸らしてあまり気乗りしないような反応だった。

僕にはできないって思われてるのかな、材料をそろえれば大丈夫なはずだけど。碧はちょっと考える。

それとも、あえて僕が作らなくてもいいって思ってる? 外食の味をわざわざ再現する必要はない、みたいな。

飽きてるのかもしれない、というひとつの推測に行き当たる。レシピに従ってアレンジを加えなくても、味見して調えていくと何となく「碧の味」になってしまっていて、碧の味覚に従っているから自分はよくても西口の好みとはずれる、当たり前だ。奇想天外なおかずは作っていないはずだけど、微妙なずれが積み重なって食傷ぎみに……。

「碧? どうかした?」

「え、いえ、ええと……」

思い切って言ってみようか、西口は否定するかもしれないけれど、ここは問い詰めてでもはっきりさせたほうが改善の話し合いもできるはずだし。思い切って「あの」を顔を上げると、インターホンが鳴った。

「あ、ごめん、宅配便みたいだ」

「はい」

玄関先で荷物を引き取ってくると、西口が「後輩の結婚式の引き出物だった」と言う。

「カタログギフト、気づけば期限迫ってたから適当に選んで忘れてたけど、温泉の素の詰め合わせ。さっそくきょう使う?」

パッケージを見ると「山代」「輪島」「和倉」と地名が書いてある。

「石川県の温泉なんですね」

「そうみたい……あ、石川といえばいやーなこと思い出した」

西口の眉間がかすかに寄る。

「どうしたんですか」

「前に、静が能登土産って地酒くれたことがあって、出張がある部署でもないのに何でだろうと思ったら佐伯と温泉旅行してきたって言うわけ! いやいや俺は? って。何で気楽なバツイチトリオから俺を省くの? ひょっとすると俺抜きでホームパーティしてたかもしんない」

「西口さんはお忙しいから、気を遣われたんじゃないでしょうか」

「それでも打診ぐらいはしてほしいわけ」

「なら、今度西口さんが日程を挙げてお誘いしたらいいんじゃないですか」

「いや、俺もそこまであいつらと温泉行きたいわけじゃないし」

「そ、そうなんですか」

難しい人だな。

「……でも、碧とは行きたいなー」

「え?」

「いや、ほら、泊まりでどっか出かけたことってなかったからどうかなーって。国会閉じてて動きない時だったら二日ぐらい何とかできるし」

所在なげにはにかみながら西口は言う。僕がいやがる可能性をちょっとでも考えてるんだろうか、とふしぎに思うくらい、いつもの陽気さも堂々とした態度も引っ込めて。碧はほほ笑んで「行きたいです」と答えた。

「ほんとに?」

「はい。僕、旅行自体あんまりしたことがなかったので、すごく楽しみです」

「そうなの?」

「はい、両親が国内にいなかったので、学校行事ぐらいです」

特にそれで不満もなかったのだが、「うそ、早く教えてよ」と強く手を握られた。

「よし旅に出よう、一カ月ぐらい出よう、会社なんかもう休職してもいいよ、シルクロードとか行く?」

温泉はどうした。

「い、いえ、僕にも仕事がありますので! 国内で、一泊でじゅうぶんです」

「そっかー。寒くなってからがいいなー。臨時国会終わって年末までの間狙って、かな。東北とかどう?」

「お任せします」

西口が楽しそうなので、碧もつい、さっきまでの葛藤を忘れて言ってしまった。

「あ、でも、僕、炊事場のある温泉って憧れです」

近くの道の駅や商店で具材を買い、共同の台所で共有の調味料を使って料理をするスタイルの宿を以前雑誌で読み、気楽でいいなあと思っていた。口にしてから、あ、しまったとすぐに思い、西口がちょっと間を置いてから「まあ、そういうのもおいおい考えようか」とあいまいに答えたのも後悔に拍車をかけた。

「部屋に露天風呂ついてるのとかも、ゆっくりできていいと思うし……とりあえず風呂入んなよ」

「……はい」

やってしまった。旅先でまでいつもと変わらない手料理なんて楽しいわけがないのに、あんな気まずい顔をさせて。温泉の素で濁った湯船の中で身体と自己嫌悪をたっぷり煮て、若干ふらつきながら出ると「碧」とやや改まった声で呼ばれた。

「あのさ、ちょっと行き違いが生じてるような気がするから、話し合いたいんだけど」

あ、西口さんのほうから切り出してくれるんだ。碧はベッドの隣に腰掛けると「すみませんでした」と頭を下げる。

「ん?」

「今まで、西口さんに手料理を押しつけていて」

「はあ!?」

西口は大きくのけぞり、スプリングを揺らした。

「何だよそれ、俺が今まで一回でもそんなこと言ったか?」

「いえ、ですから、言えなくて困らせていたのかも、と」

「何でそういう推測に至ったわけ?」

「夕飯にいただいた料理のレシピを聞いてほしいと言ったら言葉を濁されましたし、自炊する温泉宿の話をした時も……」

「違う違う違う違う!」

ぶんぶん頭を振って過剰な否定を重ね、さらに「なわけないだろ!!」ととどめを刺した。

「逆だよ逆!」

「と言いますと……?」

あまりの勢いにちょっと気圧されて尋ねると、西口は碧が首からかけたタオルに手を伸ばし、生乾きの髪を拭きながら話した。

「静の料理食ってる時、きみがほんとにうまそうな顔してたから、いつも甘えて作ってもらってばっかの自分を反省した。そりゃそうだよな、たまには他人のめしも食いたいよなあって。そのうえ、静のこと褒めるし……俺もちょっとは頑張らないと、って、今度練習して作る決意をひそかに固めてたら、レシピ聞いてくれとか言うだろ、碧が。いやいや、きみが作ったらそっちのほうがはるかにうまいに決まってるじゃん!」

「そ、そんなことは……」

じゃあ、単なる自分の勘違い――いや、もう一件のほうは?

「あの、温泉の件は」

「えー? そりゃ嬉しいよ、温泉浸かって碧のめし食えたら最高だよ、ただ、自炊するような宿って民宿っぽいだろ、いやそれも決して嫌いじゃないよ? でもさ、せっかくなんだから、ていうかこっちは旅行っていったらいやらしいことする気満々なのに落ち着かないだろ――」

思わず西口の口を手でふさいだ。入浴剤なんか比じゃない効果で顔がのぼせてくる。西口は髪に触れる手を止めず、ふさがれたまま「ほら」とこぼす。息の熱さに離すと、笑っていた。

「そういうふうに照れるから、はっきり言うの自重してたんだけど。誤解を招かないよう率直に申告すべきだった?」

「知りません」

「怒ってる?」

「知りません」

「確かめてもいい?」

「……知りません、てば」

キッチンで、何かをかちゃかちゃかき混ぜる音。何かが焼ける香ばしいにおいもする。パンだ。おばあちゃん、けさはパンなのかな……まだ覚めきっていない碧の意識は、だいぶ過去へとトリップした。待っていれば食事が出てきた、子ども時代。それは楽しかったけど、誰かのために食事を作る大人になった今の楽しさを、あの頃の僕は知らないから――。

「……すみません、寝坊してしまいました」

まどろみより現実が勝り、あわててまぶたをこじ開け起き上がると、台所の気配は夢じゃなかった。

「あ、いいよいいよ、ゆっくりてしてな」

「でも……」

「ほら、ゆうべはさ、俺がちょっとはしゃぎすぎたから、疲れさせちゃったし、ねっ」

ほんとですねともそんなことありませんとも言えず、掛け布団ごと膝を抱えて頭をくっつけた。トースターが軽やかにパンの焼き上がりを告げる。

「よし……コーヒー、ブラックでいい? ミルク入れる?」

「あ、カフェオレでお願いします。何かお手伝いすることはありますか?」

「いやいや、大したもんじゃないから、むしろ期待しないで」

カウンターキッチンのスツールに腰掛けると、トレイごとモーニングセットが差し出される。たっぷりのカフェオレと、トマトとアスパラのサラダ、メインはたまごトースト。目玉でもスクランブルでもなく、ゆで卵を砕いてマヨネーズで和えたやつ。

「いただきます」

並んで手を合わせ、できたてのトーストを頬張って碧は驚いた。

「おいしい!」

「大げさだよ」

「そんなことないです、本当においしい……何だろう、マヨネーズが違うのかな?」

「いつもきみが作ってくれるだろ? あれの見よう見まねに、マスタードちょい足ししてみた」

「なるほど、いいですね」

碧はそんなにマヨネーズを使わないので、必要な時は都度作っている。卵黄と油とヴィネガー、特に難しいことはないのだが、そういえば初めて作った時、この人は感激してくれたっけ、と思い出す。

誰かに引け目を感じる必要なんか、どこにもないのに。まだ温かいゆで卵はなめらかなマヨネーズとよく絡み、さくさくのトーストと一緒に噛み締めるとただただ幸せな味が口じゅうに広がる。また食べたいです、と、僕も負けないよう頑張ります、だったら、どっちが喜んでくれるのかなと考える。さて、ごちそうさまの前に結論が出るだろうか

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