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2022/07/21

 今から一時間で四千字書けるかの実践。考えるために手を止めないというのは、書き続けるということだが、書き続けることができても考え続けることはできない(?)。つまり、手を止めずに書き続けるというのは考えていない時の状態も書くことに折り込むということでもある。僕のパソコンのデスクトップはパウル・クレー晩年の絵、忘れっぽい天使になっている。パウル・クレーを常に感じ続けているというのも、必ずパソコンを開けば見ることになるが、見ているという意識なく見ている。この「意識なく」というところが、今書いたことと同じことだ。舞城王太郎『ビッチマグネット』とドストエフスキー『罪と罰』を三十分ずつ読んだ。『ビッチマグネット』は黙読(頭の中でも言葉の音を出さない)の練習として読むことにしたが、速く読むのに適している。このドライブ感を四千字原稿にも生かせればと思う。
「生かすために読むのか?」
「『独学大全』で読書法を9つ知り、それらを実践することで何が変わるかを試そうと思っている。ああ、今日は昨日にも増して大したことが書けないね」
「大したことを書くために書くのか?」
「東浩紀が千葉雅也の『勉強の哲学』の本を、「あれは要するに筋トレの方法でしょ」と言っていたが、トレーニングも大事だと思うのです。トレーニング、つまり(タイトルのように)勉強ですね。僕は勉強をおろそかにしていた。勉強なんて要らないと思っていた。でも僕は自分の肉体に頼りすぎている。また引用しますが、東浩紀が「身体性が大事だってことにようやく気づいた」みたいなことを言っていて、それに対して僕は身体性しかなかったと言うことができるような気がします。東浩紀の言う身体性と僕の思う身体性は違うかもしれませんが…」
「引用についても考えてみろよ」
「そうだね。でもそれは後にしよう。なぜなら、書くことはお前によってもたらされるのではなく、書き手によってもたらされるのだから」

 一体お前は今日何をした?
 買い物して寿司を食べた。買い物して、寿司を食べた。
 それから?
 寝た。寝て、起きて、修理に出していた自転車を取りに行って、帰ってきて……詩を書いてから本を一時間読んだ。

 坂口恭平を初めて知って、ツイッターを見たとき、一日に何をどのくらいやったか(例えば絵を何枚描いたとか、何千字文章を書いたとか)を見たとき、なんでそんなに量にこだわるんだろうと思ったけれど、今の僕はとにかく量のことばかり考えている。質は十年二十年後に考えればいいのではないかと。もちろんやっていれば質的なことも考えたり実践したりするだろうが、気持ちとしては。

 行動計画表のためのノートを無印で買った。一ページを縦に右と左に分けて、5、6、7、8と時刻を左側に縦に書いて、左の表に今日の計画予定を、右の表に実際にやったことを書く。そうすると自分がどのようなことをやろうとして、それがどのくらいできたか、できなかったかがわかる。
 今までは本を読む時や文章を書くときや書き写しをするときや絵を描くときなど活動をしている時に時間を測っていたが、何もしていない時間も測り、記録することにした。すると、一日にどのくらい何もしていない時間を過ごしているかがわかり、改善できる。何もしないのもいいことではあるが、何もしないもできていない何もしないがあり、それを可視化することが大事だ。
 毎日やっている習慣(例えば、スマホを見るとか)に、別の新しい習慣(例えば『行動経済学ノート』を一ページ読むとか)をセットにすることで、新しい習慣が自然に身に付く、ということもし始める。
 今日学んだことを、本も何も見ずに、どれだけ覚えているかを書き出すというものも、やろうと思ったが、ここですでにやっているようなことでもあった。
 シンクアラウド。ヒトは自分の考えを声に出す時の方が、声に出さずに静かに学んでいる時よりも素早く、深く学ぶことから、本を読んでいる時に、考えていることを声に出し、それを録音する。一段落したら録音を止めて、メモをとりながら聞き直す。という方法。これも面白いが、本に線を引いて書き込みを加え付箋を貼ったりすることに近い。それに加えてこのシンクアラウドも取り入れたらもっと面白いかもしれない。
 以上、『独学大全』から学んだ一部です。

〈何かがむしり取られる日々〉

毛を抜く ということが
太古からの手作業としてある
痛みや血も流れる
切断された生命の息吹の臭いもする
帰りたくはない
異常は移ろいゆく
お前の身体は守ることから始まる 守りとは拒否することである と
身を持って表した
だから今夜はもつ鍋だ
有象無象の錯乱だ
安らかに埋没する日々
建設は空中に粒子となって現れる
友人よ お前の批判のただ中で
僕はぼくを転がしていく

 これは今日書いた詩です。吉本隆明の『日時計篇』という詩群を書き写すことを、吉増剛造に与えられてから、どのくらい月日が経ったのかはわかりませんが、しばらく続けて、しばらく休んで、を繰り返し、今日は212篇目の詩を書き写したところです。それに応答するような形で、自分が書いた詩も続けるようにして書き始めて、これが16篇目です。やりたいことはたくさんある。だからそれらをやるために時間を作る。時間は意外にも結構作れる。時間がない、と思うなら、働きながら本を月に十冊以上読む人たちを見よ。
 結構みんな大したことがない。でもそこに甘んじることなく、やりたいようやれ。
 それは舐達麻の声だった。

 坂口恭平が今日、2時間で13000字を書いたと言っていて、凄まじいなと思った。一時間で6500字。本当に止まっていない。異常なまでの集中状態と言うだけでは説明がつかない。私淑、という方法が『独学大全』に書いてあった。折に触れて、師に問いかける。「この人ならどうする?(行動)」「この人ならどう考える?(思考)」僕は師を四人上げた。でも、この四千字原稿においての師は坂口恭平だ。十年やればものになるなら、もちろん疲れたら休むが、続ける。とにかく、ただ続けること、そして量やること。それを、何かプロになりたいとか金を稼ぎたいとかではなく、ただただやるためにやること。なあ、書くことは誰にでもできるんだ。なぜ皆やらないのか。やろうぜ、と坂口恭平は言う。やる。どうもありがとう。

 でも、病んでいる人、僕の知っている分裂病者たちは、芸術的な力を持っていない人の方が多い。それでも書くこと、あるいは作ることはできるのか。作る必要があるのか。彼らに必要なのは、回復または寛解それだけなのではないか。
 何のために人は生きるのだろう。僕は作るために生きていると言うことができるが、それは誰にでも言えることではないのだろう。
 山下澄人が、シェイクスピアの生きていた時代、劇のオーディションが始まると肉屋や八百屋や、その他ふつうの民衆がオーディションを受けて、それで受かったり落ちたりすると、落ちた人は、自分がやろうとしていた役に受かった人の演技を見て、あれならおれの方が(私の方が)いい、いや確かにあれはおれより(私より)すぐれている、などと言い、演者でもあり批評家でもあったのだと言っていて、それは確かに理想である、と思った。
 どういうところが理想?
 作ることと批評することがセットであること。誰もが作り、批評するということ。

 もう書くことがない! それでもとにかく手を動かし続ける。手を止めない。手書きと違うのは、いくらでも文字を打ち込み続けることができることだ。そしてこの速さ。ドストエフスキーにノートパソコンを渡したら、きっと口述筆記せずに打ち込み続けていただろう。もしかするとカラマーゾフの兄弟の続編も、死ぬまでに書き上げたかもしれない。
 速さについて。とにかく速く、と思って、黙読を始めた。不思議な感じがする。今まで本を読むときに使っていたところではない部分が軽く目覚めるようであった。光るようであった。あの感じは、一日にもっとやって、身につけたい。午前中は週四で用があるから、その間にもできることはあるが、朝のうちにできることと、昼の12時過ぎに帰ってから一時間できること。朝から昼寝までの間にどのくらいのことができるかを明日は意識しよう。作ることは楽しい。もっといろんなものを作りたい。
 でも、こレを、批評のためにやっているのだということを忘れないこと。肉体性と加速性を批評に融合させるための試みとしての四千字原稿。さあ、あと五百字だ。
 できるだけゆっくり書け、と言った書道家と、できるだけ速く書け、と言った書道家がいると、吉増剛造『火ノ刺繍』で石川九楊が言っていた。対談の集成本というのは、文芸誌に載っている状態のものと違って、本の作者名が『火ノ刺繍』であれば『吉増剛造』になる。石川九楊の発言も、吉増剛造のものになるのだろうか。そういうことがありうるのだろうか。調和する聞き方? 精神分析とは何か? いくらでも概念を叩き込むために、勉強というよりも修行をするよ。
 勉強もするよ。
 息苦しくなければ勉強できるよ。
 結構簡単だよ。
 あとはやるだけだよ。
 お前はやるやる言っているだけじゃないか。
 これも一つの実践だよ。
 煙がくねるくねる。水島芹馭さんの絵が凄い。あれは時間を描いている。僕はあの絵を見て時間というものを初めて見たような気持ちになった。決して狂気に陥ることはない輪郭線があり、境目は越えない中で可能なことを最大限にやっている。とても面白いので、皆さんもぜひ見てみてください。
 自分の部屋がどんどん空っぽになり、祖父母の家の空き部屋がどんどん充実している。なんだか日記みたいになってしまったが、そういう日もあっていいだろう。これはひとまず千日続けるのだから。まだ三十日分くらいしかやっていないが。
 以上。

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