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2022/07/22

 本を読んだ後に、すぐ原稿を書くことはできない。一時間くらい別のこと(絵を描くとか作曲するとか散歩するとか)をしている間に、読んだ本が無意識に最初は静かに、そのうちぶわあっと広がり、浸透していく。それは頭から体へ広がっていくことに等しい。頭とは何か、体とは何か。その頭と体はひとつの僕であり、僕の手はぬっと伸びてキーボードを打つ。叩く、という表現もあるが、打ち込む、という方が僕には良い。書くことで思考が可視化されると同時に書くことで時間が流れる。概念は時間の影響を受けない? 概念もまた肉体から出てくる。肉体は時間の影響を受けている。吉本隆明『日時計篇』の書き写しはまだ一冊と半分(全部で単行本三冊)あるが、写し終わったら二周目を書き写す。その後に『言語にとって美とは何か』『共同幻想論』『心的現象論』を順番に書き写していく事になる。書き写すというのは、元の文を書いた人の思考や肉体や脳やその時の外界との反応や喚起された記憶や渦巻く感情などが凝縮されたもの、それを結果と呼んでみてもいいと思ったがそれは結果ではない。書かれた文字あるいは文は結果として完結していない。常にうごき、生きている。蠢いている。絵は見られることでより良い絵になるという話がある。本もそうなのではないか。しかし本、そこに書かれたものは、絵のように現実にはない。現実ではない概念領域とでも言うべき場所に位置していて、そこを人間たちは共有している。そしてそこは絶えず人間たちと交流し、変化している。本もそのようなものとしてある。物体としてあるのは、そこから滲み出たものだ。あるいは、現実へ変貌したものだ。文字を読むことが面白いのは、文字という物質、文字という現実を読みながら、概念領域に触れることができることにある。
 さあ、インプロヴィゼーションだ。

「それ自身が独立した個が無数にあり、その無数が小説として書かれる。それは、自らが独立し、しかしたった一つの個でありながら分裂ではなく分岐として、そしてその分岐線が消え入ったとき、書かれるだろう。多重人格者は、その分岐線が見えないから治療が大変なのだ」
画家「私もまた分岐された者として存在しているのですか。私は私です。でもあなたはそうは言わないのですね。ご覧なさい。世界像は屈折し、それを修正するために私は絵を描く、と思っていたのですが、そうやって描いた絵は、調和的であるがゆえに世界への依存であるのです。私が思い描いている理想は、でたらめに描いた線や色が、でたらめであるのにもかかわらずでたらめでない、というものです。私は何を言っているのでしょう? 今日描いた絵をぜひあなたに見せたい」
「見せることで何が起こるのです? 見せることは独立を妨げます。個をインターネットの網目に位置させるようなものとなります。あなたは絵を世界に独立させたいのではないのですか。それは言い方を変えれば孤立させることです。孤立すること、それを目指すべきです。
 会いたい人がいるのですか」
批評家「僕は批評です」

 異物。異物言語。内臓物としての異物。ぐちゃぐちゃなもの。無造作でいて縫い目があるもの。工場のように統率されているものではなく、幼稚園みたいに子どもたちが騒ぎ、遊び、泣き、甘え、糞尿をもらす混沌である。時間をかけることと、時間をかけずに書くことの、連鎖、または往復、または段階。いつまでも僕らは作り続ける。それでいい。絶えずお前が試される批判に全神経を注ぐ瞬間とその持続を持て。軌道は思考だけでは変わらないが、書いていない時間もまた書いている時間に等しいとツイートしていた保坂和志の、それを意識しながら量をこなせ。量は時間をかけることではなく、速さであると思われがちだが、一日中それに費やせばいい。僕の場合は、それらだが。
 流動する感情は書く原動力にならない。原動力になるのは声である。誰の声でもいいわけではない。私の声、ぼくの声。解離した声。分岐線がなくなると言うのは解離するということであり、分裂病者は病を解離することが難しいと言うのは、『ドストエフスキーの詩学』に書かれているそして書かれつつある(そう読むことは書かれつつあるものを読むことである)ポリフォニーを意識することである。洗脳から自らを守るために分裂病者は病を解離できない、とは? この解離こそが、私がこれから最も注意すべき、注目すべきことなのかもしれない。
 問いを立て、それに答える形を文を連ねることは、量をこなすのであれば、一時間で四千字書く時には熟慮する暇がないので、それは別の形となって現れる。すなわち問いは書く前に立てられ、書く前に仮に答えられる。書くことは、その仮であるということを明白にすることである。それを読み返すことは、次に書くもののために、その仮の答えから、問いを立てることである。書くだけではなく、読み返すことがとても大事であることがわかりました。四千字のためには、書くときの思考状態を書いていない時に持ってはいけない。書くではない、読む時の思考状態を、読んでいる時に持たなければならないが、それも読んでいない時に持ってはいけない。読むときと、考える、あるいは思考する時と、書くときは、それぞれ別の状態でなければならない。それを知り、鍛えるためにこの四千字原稿が起爆剤となるのだろう。
 時間は限られているが、時間は限られていない。
 それはそこにあるが、それはそこにはない。
「それ」とそれを名指すことはできるが、「それ」と名指すことはできない。
 なあ、この意味がわかるか?
「ああ、どんな意味も、それが依存的であるのなら無意味だ。調和的であるのなら無意味だ。今はそう言っておこう。この文を読み返したとき、違和感を持てればそれでいい。そこから思考の道筋が立てばいい。杣道のことも考えたい」
「どうして鉤括弧で発言をくくる必要があるのかといえば、それが発言であることを示唆するためでもあるが……」
「それ以上言うのはやめておけ。文字数は限られている。ここは強調点を付けてください」
「noteで強調点付けられるの?」
 ぼくらは僕らによって喚起される。書くことは喚起そのものである。いつまでも続く道を、四千字に区切る。あるいはその果てしなさを四千字に表す。そんなことはできないだろう。しかしだ、書くということはできないことをすることである。ここも強調点。

 病が病として固着してしまった人々を僕が通っているところで見る。ああ彼らは母親の話をよくする。母がこう言っていた、とか。おそらく父親のことを話す人もたくさんいるだろうね。エディプス・コンプレックスだね。でも、彼らが社会人たちと比べて劣っているかというと違う。彼らは決して残骸ではない。彼らは大多数の人々の接続点なのである。それが彼らを自立することを妨げる。同じ人であるのだから、彼らを接続点としての道、あるいは線、あるいは物として扱う人は、異常であるようで平常なのかもしれない。僕はその中に位置されることを拒む。来週は、その場所へ通うことを休むことにします。どうもありがとう。
 休むことは大事です。常に手を動かしているだけではダメなのです。想像してください。想像は海を動かします。海は山を削り、空を作り、僕らの生存を作ります。その海に溺れる人々は、儀式のために犠牲になった者です。ええ、それは世界樹の成長を促進させます。
 そんなことを言ってはダメです。犠牲とは、そのような因果関係に収められるものではないのです。
 いいえ、犠牲という言葉は、因果関係に依存しています。
 ああ、すべてが依存となり、それが批判の対象となるのですね。
 私はすべての批判を、受け入れます。

 時空を闊歩する人。神の歩行。止めどない行者の呼吸。実在感について。宮沢賢治『春と修羅』序、について。わたくしといふ現象。私は現象。世界の、あるいは自然と同じ。有機交流電燈のひとつの青い照明。ひかりは保ち、その電燈は失はれ。そこまで行くのなら、調和もまた良い。しかし今の僕は、この詩に惹かれても、宮沢賢治の作品を読む気になれないのはなぜだろう? 吉増剛造全詩集を待ちながら、声は分岐と解離を繰り返すがごとく打ち込まれる文字群の踊り。騒ぎ。数えられるものはおもしろくない。結末があるものは面白くない。異物はそこに強調点を置く。強調点がまた生きた文字となる。文字よ、と文字に語りかける異常者。森羅万象の歪みに首を持っていかれる病者。アルツハイマー症候群によって、忘れられる記憶の中の概念もイメージも、映像も、空気の感触も、ここにいるという認識も、皆文字から概念領域へと帰っていく。さようなら、さようなら。
 文字よさようなら。

 それでもまだ続く。四千の歩行はただその平地を歩いているだけなのか地下のマントル最深部のマグマに沈みゆくのか概念領域を行くのか、それとも誰か(あるいは何か)に会おうとしているのか。
 この場所で。この廊下で。この玄関の前の廊下で!
 誰かが帰ってきて、誰かがお風呂から上がって、誰かが勉強を終えて二階へ行く。僕は腰を痛めながら、この文章を書き、後で、あなたの声を聞く。
 あなたたちは、ずっとそこにいないから、それぞれの位置で、それぞれの役目を持って、それを為し、それを終え、明日へ移動する。明日は現在であり、虚構であるが、この傷は本物だ。
 ただ傷をいたわるのではなく。
 せっかく書いたのだからといって、それを大切にするでなく。
画家「私は絵を、自らのイメージを殺すために描くのだと、今日描いていて気づいたのです。その絵は、あの部屋に飾っています。あの部屋は今、空です。サンキャッチャーが虹を放出しているでしょう」
 きれいだね。
 きれいって?
 双子みたいだ。
 書くことを鍛えるのなら、読むことも鍛えなさい。
 それでは。

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