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真実はいつも人数分

「自分には平均化訓練の才能がない!」
そんなことを打ち明けられたことがあった。
平均化訓練に才能なんて必要あったかな、と思いながらも相手はなかなか切実にそう思っているみたいで、今ひとつ否定する気にもなれなかった。
どうやら講座に連れてきた知り合いの前でかっこよく体操して見せるはずが、なんだかうまくいかなかったみたいだ。
でも、そもそも平均化体操って「そういうもの」じゃないしなあ……と、僕はそう思う。
笑い話にもなりそうだけど、「才能がない!」と打ち明けるその人の言葉は切実だった。

平均化訓練に才能が必要か否か。
その話はひとまず横に置いておき、そう打ち明けた人の切実さは本物なのだと思う。
その人にとってみれば主観的には真実なのだ。
かっこよく体操してるところを見せたかったのに体操の相手が忖度してくれなかったとか、凄いことをしてるはずなのにいまいち人に評価されないとか、いろいろ事情はあるのだと話を聞いてみれば理解できたり共感できたりする部分もある。
それに「体操に才能なんて必要ないよ」と言ったところで慰めることにはならない。
そう本人が思っているなら、ひとまずそれは真実だ。

平均化体操は別にかっこよくない。
自分の無様さ、情けなさ、惨めさに直面しなければならない。
体操はエゴなんてぜんぜん撫でてくれない。
平均化体操を通して自分を眺めると本当に格好わるい時が結構ある。
楽しいばかりが体操ではなくて、でもそんな部分に目を向けてみて弱音とかネガティヴな心と向き合っていく勇気をくれるのが体操なんじゃないかしら、なんて僕は思う。
そう思うのだけれど、これだって平均化体操のひとつの側面でしかないだろう。
そんなのオマエが勝手に思っているだけだろうと、そう言われるかも知れないが、僕の中ではそうなのだ。

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