上意下達を超えて

最初期の雰囲気を振り返ると平均化体操は得体の知れないもの、不思議なものという感じもあった。
説明はほとんどなく、体操を誘導された人が妙な姿勢でうんうん唸る姿は、やはりどう見てもエキセントリックだ。
楽しくやっている自分たちですら、人に教えるのは憚られるようにも感じた。

しかし、平均化訓練が奇妙なもの、怪しいものとして受け入れられることはあまり望ましいことではなかったと感じる。
奇抜な見た目の陰に隠れてしまう、平均化体操を成り立たせる仕組みがあり哲理があることを正しく理解されるべきだと、先生が考えていたのではないかと思う。
しばしば厳しい目を向けていたことをよく覚えている。

体操は楽しくても、体操の仕組みの謎を解くには先は長いと感じていた。
そして講座の頻度にはムラがあり、時には休止期間もあった。
いつかこの平均化訓練自体がふっと立ち消えになってしまうのではないか、そんな不安の中にもあったように思う。
しかし、2015年の秋も終わる頃、大きな転換を迎えることになる。
しばらくの休止期間を越えた時のことだ。

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