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楷書体に吸収されていく

初期の頃に行っていた自主的な練習はそれまで学んだことのごった煮で特に整理されていない混沌としたものだった。
何しろ楷書体だって満足に紹介されていなかったのだ。
体操をつかまえたままあれこれと知っている動きや日常動作を行っていた。
そんな事をしていたあるときに、あらゆる動きが最終的に楷書体に吸収されていくと気がついた。
腕立て伏せをしていても、ポテトチップスを食べていても、静かに座って呼吸していても、結局のところ楷書体を経由して動きを確かめることになる。
楷書体と言ってもその頃は楷書行書草書の区別もほぼつかないような理解度であったけれど、今の言葉を使って説明してみるならば、背骨と四肢の連動感を確かめる動きに、練習が収束していくと気がついた。

なるほど、どうしてもこれをやることになるんだな、というのは大きな発見であったし、動きの質を高めるための根源的な方法なんだろうという確信が生まれてきた。

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