素朴な理由

体操がやりたいのかやりたくないのか矛盾した気持ちが生まれてしまっています。
矛盾する気持ちの根っこは別に難しい理屈や高級な理由があるわけではなく、言葉にしてみればたいしたことのない素朴なものばかりです。
「謝ってもらえなかった」みたいなことがずっと残っています。
ただ、そういった疑問が残っているままだと平均化訓練の考えをあまり素直に受け止めることが出来なくなってしまいます。
理路だけはわかるけど嘘をつかれている気分がずっと続いていたけど、でも嘘は確かにあったのだろうとも思います。

平均化体操の仕組みは普遍的なものだし、嘘も何もないですが、それが誰かの言葉や態度や振る舞いを通した時に嘘になってしまう時があります。
少なくとも平均化訓練をやっている身としては、体操を嘘にしない、嘘をつかないということを大切にしたいと思っています。

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