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事実はひとつ

平均化体操はもともとの身体の仕組みを使っている。
だから本人の意思や考えとは無関係に体操はある。
身体の話だから本人がやりたいと思っても出来なかったり、やりたくないと意地を張っても出来てしまったりもする。
そのつもりで観察してみれば様々な場面で平均化体操を見つけることができる。

偏りに向かう割合が多いのか、平均化に向かう割合が多いのか、グラデーションはある。
偏ってみたり平均化してみたり、そんな揺れ動きを掴まえてみよう……というところから平均化訓練は始まる。

偏ったり平均化したりの体操は観察する誰かの評価とは無関係に起きている。
本当は上手も下手もなく、かっこいいもかっこわるいもなく、無様も惨めもなく、美しいも醜いもない。
僕は体操を秘めた動きを見て綺麗だと思うけど、そんな気持ちだって観察する側の勝手なものだ。

事実として身体があり動いてる。
体操はシンプルでドライなものなのだ。

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