ぺこーらいつもありがとう!

ぺこーらいつもありがとう!最近ぺこーらへ感謝するのが日課になりつつあります!単刀直入に我慢してたこと書いちゃう!ぺこーら愛してるぞおおおお(ps.厄介野うさぎだと思われてそうですが長文赤スパ失礼!ちなみに読まれてる頃にはあまりの恥ずかしさにユニバーサル大回転ぺこぺこの舞(◝(‘ω’)◟ ))(( ◝(‘ω’)◜ ))しながらベットの上で暴れてると思うので率直な一言もらってもいいですか?w最後に一言!配信をはじめ本当にいつもありがとう!野うさぎ達を大切に思ってくれてる姿勢冗談抜きで本当に好きです。応援するしがいがあります!

 祈りなんですよね。

 俺には余談から話を始める悪癖があります。目的地に向かってローラーを押して道をならしていっているつもりで、気づいたら全然違うところに辿り着いてるんですよ。マジですみません。とりあえず読み進めてみてください。

 かがみんってやっぱり萌え萌えなんですよね。まず。はじめに。アニメ版らき☆すたからもう16年経っても全く輝きを失っていない。こなたにちょっと強く当たっちゃうところとか、隠しきれない姉妹への愛情とか、ちょっとオタッキー(死語)なところとか。萌え萌えですよね。「ケンカ予報の時間だよ」とかネ申曲だし。かがみんは俺の嫁。

 でもかがみんって居ないじゃないですか。いや、これは本当に切実な問題ですよ。だって存在しないんだもん。それはかがみんだけが居ないということではなく、中原岬ちゃんも椎名真冬ちゃんも中野梓ちゃんも宮内ひかげさん(俺は宮内ひかげさんを年上だと誤認しています)も居ないんですよ。もう、何をどうやってもどうにもならないわけです。パソコンの壁紙にしても、抱き枕を買っても、アクリルスタンドを買っても、VR空間に召喚しても、どこにも居ないんですよ。「居ない」という虚構性だけが遍在している。「居ない」から遍在できる。

 我慢ならないですよね。俺はこんなにかがみんを愛しているのに。こんなにあずにゃんを愛しているのに。こんなに岬ちゃんを待っているのに。我慢ならないっすよ。だから必死に引き寄せるわけです。俺が中1の時(2017年)、アイドルマスター シンデレラガールズ スターライトステージのガチャを、二宮飛鳥ちゃんのカードを手に入れるためになけなしの小遣いを全ツッパしたのもそうなんですよ。二宮飛鳥ちゃんのゲーム内カードを手にいれる、ひいては二宮飛鳥ちゃんそのものと相対したかったんですよ。でもできなかった。それはガチャで引けなかったという話ではなくて。

 こういう話になると、いつも俺はモナ・リザを引き合いに出します。モナ・リザという情報、ゆったりと構えてこちらを見つめる女性という情報は誰もが持っているけれど、しかし誰もルーブルの分厚い防弾ガラスに囲まれた「モナ・リザ」には手を触れることすらできないわけです。そして、だからこそすばらしいものなのだと。画面の向こう(この表現もめっきり聞かないっすね)の萌え萌え美少女たち、それを俺は知っていて、しかし触れもしないわけです。そしてだからこそ尊いと。俺にとって萌え萌え美少女とは、虚構でしかないわけですね。

 悩みに悩んだ末、俺は萌え萌え美少女のことをフルネームで呼称するようにしていました。これは名字なり下の名前なり、もしくは〇〇ちゃんやらあだ名やらで呼んでしまってはまるで俺と萌え萌え美少女の間に何らかの関係性があるようではないかと。その点フルネーム敬称略であれば、相手に呼びかけるというよりは相手の個体名を読み上げているというようなニュアンスが生まれます。萌え萌え美少女が実存を持たないことを受け入れるために、自分と萌え萌え美少女の間に明確な断絶があり関係性の矢印はそれを越えられない、ということを自分に言い聞かせていたというわけですね。めんどくさいから今はもうあんまやってないけど!

キモパワポ

 俺が中学生として過ごした2017〜19年は、バーチャルYouTuberが花開いた時代でもありました。ねこます(のじゃロリおじさん)やキズナアイ、のらきゃっとあたりの時期です。そしてにじさんじ以降VTuberカルチャーは一気に覚醒し、一気におかしくなっていったわけですよ。

 中学生の俺はたいそう激怒しました。今でも怒ってます。萌え萌え美少女は全て虚構なのだ、虚構だから遍在でき、そして虚構だからこそ尊いのだというところにせっかくたどり着いたのに、お前らは萌え萌え美少女を「こっち」に引っ張ってきやがってと。お前らは今禁忌を犯しているんだぞと。悪貨が良貨を駆逐して、悪しき物に悪しき者たちが集っている。

 ところで、俺は百合がかなり好きなんですよね。ごく稀に、数千文字の二次創作SSを書いてpixivに上げたりもしていました。一旦既存の萌え萌え美少女のセクシュアリティという論題はさておき、俺が書くSSの世界の中では、同性愛は全く普通の愛の形態として世界に受け入れられます。これはもちろん今ここに存在する差別への反対と破壊の表明であると同時に、萌え萌え美少女たちに幸せであってほしいんですよね。愛しているから。

 みなさんはわかりませんが、俺が二次創作SSを書くいちばんの原動力はここだと思います。あなたに、あなたがたに幸せでいてほしい。動ポモ的に言えば、ハッピーエンドまで描かれなかった物語の等価なシミュラークルとして二次創作を書くことで、データベースの集積であるところの萌え萌え美少女に幸せになってもらう。

 しかしこれは、「萌え萌え美少女の幸せに自分がコミットしたい」という欲望に負けている、と考えることもできる。おそらくBL界隈が初出だと思いますが、「壁になりたい」という表現があります。非実在青少年(ちなみに都条例で規制される本がBLばかりなのもほんと最低ですよね)と自分が恋に落ちたり幸せになったりしたいのではなく、「壁になりたい」。つまり完全に断絶された鑑賞者になれればそれでよい、非実在青少年たちの幸せがもうそこにあるのだからと。これは本当に高潔で、美しい態度ですよ。

 あなたの幸せに関与したい。俺のおかげで幸せになったあなたを見たい。見せてくれるだけでいいから、とにかく俺「によって」幸せになってほしい、そういう俺たちの弱さ。そういう弱さに、資本家どもがつけ込んでくるわけですよ。お前らの赤スパ「によって」VTuberは生きていけているんやでと。お前らの課金と投票「によって」担当アイドルにCVが付くんやでと(割愛しますがデレマスの総選挙によるボイス獲得という制度は本当に下劣っすよ!!!)。萌え萌え美少女は、拝金主義者たちの婢ですよ。

キモパワポ2

 いや、違う! と、わかるはずです。俺たちおたくは「現実と虚構の区別が付く」から。中学生の俺だってわかってましたよ。俺が買ったこのGoogle Playカードが、3000円が、二宮飛鳥ちゃんの幸せになど繋がっていないと。Cygamesの口座に直結しているだけだと。彼だってわかっているはずです。その赤スパがぺこーらの幸せになどなっていないと。カバーの売上にしかなっていないと。だって二宮飛鳥ちゃんも、ぺこーらも、居ないんだもん。でも、いや、それでも俺たちはガチャを回し、長文赤スパを失礼するわけですよ。それしかないんですよ。

 祈りなんですよね。これは。別にわかってるんですよ、内心では。賽銭箱に五円玉を投げ入れて、なんとなく目を閉じ合掌しているその時、今まさに神様が降臨して自分の望みを叶えてくれるのだと、心の底から思っていますか? と。それでもあの子のことが好きだ、あの子を幸せにしたいと、やっぱり祈っていくわけですよ。二宮飛鳥ちゃんなど存在しないと理解していても、祈らないわけにはいかないのです。彼もそうでしょう。ぺこーらなど存在しないと理解していても、祈らないわけにはいかないのです。俺たちは祈ることしかできないのではなく、祈っていくことによって、俺たちは人間になっていくんですよ。

 「推し」というタームを拒否しなければならない真の理由はここにあります。推しカルチャーにおいて顧客の支出が、赤スパが、アクスタが、10連ガチャが、「推し」の「幸せ」であることは明白なんですよね。だからダメです。萌え萌え美少女たちの、彼ら(They)の幸せにはどうやってもコミットすることができない、しかし、だからこそ祈っていくほかにない。祈りとしての赤スパ、祈りとしての有償石限定ガチャ。そこにあるものこそ、最も純粋な祈りでしょう。何もかもを資本家に奪われていくなか、それでも俺たちに残された最後の、そして最初の形態です。

 「ぺこーらに、告白しようと思ってる」などはそっくりそのまま、現代における信仰告白と祈りにほかならないでしょう。天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。御心が天に行われる通り、地にも行われますように(マタイ6:9-10)。われらを試みに会わせず、悪しき者からお救いください(同6:13)。

中世の正教会では、「祈りの文言を理解せずに祈る」「祈りの文言を理解して祈る」「祈りを口にすることをまたず、すべての行為が祈りとなっている状態」の3つの祈りの形が考えられた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/祈りより CC BY-SA 4.0

 「〜すべての行為が祈りとなっている状態」ここまで読めば、これがすなわち萌えであるということはおわかりでしょう。かがみんに、あずにゃんに、岬ちゃんに、二宮飛鳥ちゃんに萌える、すなわち祈っていく。俺が、俺たちが、らき☆すたを観ている時、けいおん!を観ている時、ただ一つできる行動、それが祈りです。ただ祈りましょう。祈り続けましょう。

 以上、サークルクラッシュ同好会アドベントカレンダー2023、16日目の記事でした。明日17日以降の枠がまだ空いているようなので、これを読んでいるあなたのご寄稿を楽しみにお待ちしています。
 なお、これは一人の尊敬する先輩であり友人との会話によりたどり着いた内容を、大きく水増しした文章であることをここに付記します。またお会いしましょう。北白川で待ってます。きっと見に来てくださいね。ノシ

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