忘れられない服
それについて考え始めたのは、あきやさんのnoteが切っ掛けだった。
このnoteは思い出した事を忘れない為の備忘録だ。
記憶を掘り起こす
note内容を読むより先に考え始めた。
私に「忘れられない服」はあるだろうか。
服が切っ掛けで発生した古くて苦い感情は覚えているけれど、その服本体はどんなものだったか全く覚えていない。
物心ついた頃の七五三や親族の結婚式、小学生の頃に通っていた習い事の発表会など、定期的に可愛い服を着せてもらった筈なのに、正直それさえも覚えていない。
せっせと可愛くしてくれた母親に申し訳なく思いつつ、一つも無いのか?本当に?と、殆ど無い服に関する記憶を掘り下げて行った結果。
漸くとある2着の記憶を見つけ出した。
1着目:プリーツ付きのPコート
大学生の頃に始発で行った、年末開催の某漫画祭典の待機列か。それとも推しコンサートの物販待機列だったか。どちらだか忘れたけれど、とにかく沢山人がいる大行列の真ん中で寒さに震えていた時に見かけた、少し前の位置で並ぶ女子高生の可愛らしいプリーツ付きPコート。
後ろ姿だけでもとても可愛かった。
規則正しく折り目が付けられ、若さ故に短くされた制服のスカートがチラリと覗く、完全に隠れてないそれがペチコートのようで可愛さが増したコートのプリーツに目が奪われる。
正面から見たいけれど待機中なので勝手に動く訳にもいかず、知らない人に声をかけるような場でも無く。斜め後ろから彼女が振り返る瞬間をずっと待っていた。
暫くして待機列が動き出し、先を行く彼女が折り返し地点に差し掛かってこちらを向いた瞬間、やはり正面から見てもそのコートが最高に可愛かった事を今でも覚えている。
多分Burberryのプリーツコート。多分。
当時も洋服初心者なので、エンブレムやロゴまで意識が回らず、形状だけしか覚えられない。
この後すぐに見失ってしまうが、室内に入るやいなや「あのコートは何処で買えるのか」と必死に検索して、携帯電話の電池をかなり消耗させてしまった。
それがBurberry「っぽい」との答えに辿り着きはしたが、田舎育ちで一人暮らしな大学生がポンと買える筈も無く、似たようなお手頃価格のコートを探すという発想も無く(ブランド=その店にしかないもの、と思っていた)、洋服にそれだけのお金を掛けるという発想も湧かず、憧れというラベルを付けてそっと記憶の奥底にしまい込む事となる。
今となっては細部が曖昧なので、Burberryだったと断言出来ない。
でも多分、きっと、Burberryだと思う。
私の憧れたブランドはBurberryだ。
まさかそれが10うん年後の今、
自問自答をした結果掘り起こされるなんて、完全な予想外だ。
2着目:高校時代の制服
流行が遅れて届く田舎でルーズソックスが漸く下火になってきた頃に、私は現役女子高生をしていた。
時代的にも可愛さやジェンダーレスがウリになるような学校は無く、ブレザーかセーラーかの二択で、後はちょっとリボンや色が違う程度。地域の交通網的にも通える範囲という見えない制限もある。
成績、内申点、立地、通学手段、電車の本数…。
重要視する点は他にもあるので、制服は正直おまけ要素でしか無い。
しかしそのおまけが、私には最高のおまけだった。
紺一色で統一された制服と、ネクタイというアイテムが知的っぽくて好みにヒットした。
私の出身中学からそこへ進学する生徒は多くなかったのだが、部活の先輩がたまたま当時その高校へ進学した唯一の人で。進学した年の5月、他の先輩方と高校の制服で中学に遊びに来てくれた時に、初めてこの制服の実物を目にした。
先輩方の制服も様々で、可愛いリボンや綺麗な色のチェックスカートもあった。
しかし私は紺一色で何の柄も無いの制服が気に入ったのだ。
着ていた先輩への憧れもあったので、その辺の効果もあったのだろう。
当時は志望校を「そこか、あっちか」とぼんやり二択までに絞ってはいたが、先輩の制服姿を見て一気に「そこ」一択へと切り替わったのを覚えている。
私の「忘れられない服」は、今に繋がっている
面白いなと思うのは、今回あきやさんのnoteを見るまで私の「忘れられない服」の事などすっかり忘れていたのだ。
忘れていた、というより思い出そうとしていなかった。
特に思い出す必要が無いからだ。
しかしこうして思い出してみたらこそ、気付く事がある。
今の私は絶賛コートを探し中だ。
形状としてはPコート、もしくはトレンチの形が良くて。
ロングでも無くショートでも無い、ミドル丈で。
秋口では無く冬も使える、ちょっと厚手の生地が良くて。
キャメルやチャコールでは無く、紺かブラックが良くて。
更に出来る事ならBurberryが良い。絶対では無いけれど、なるべく。
そんな条件を掲げている。
コートを探そう、と思って真っ先に行ったのはBurberryだった。
Burberry以外のお店を探しても、最後にBurberryを見てしまう。
プリーツコートだって今見てもときめく。もう年齢的に着れないし似合わないから選ばないのに、見てしまうし試着もする。試着をするたび「学生の頃に出会いたかった」とがっかりするのだ。
他の服は特にこだわりも無く、ブランドも碌に知らず、百貨店のフロアを端から端まで練り歩いて探したけれど、コートに関しては無意識にBurberryで買うものだと思い込んでいる。
コート探しをするたびに「この執着は何処から来たのか」と不思議に思っていたけれど、多分、きっと、「忘れられない服」のプリーツコートの所為だろう。
制服についても同様だ。
今の私の服は、「Yシャツ」と「無地の黒」で統一されている。
柄物や色物は何となく避けてしまうのは、高校制服に一目惚れした頃から好みが変わっていないという事かもしれない。
単に着ないから見慣れないだけかもしれないけれど。
まぁそれはそれとして。
私は去年に自問自答ファッションと出会って、そこから服への考え方やこだわりが生まれてきたのだと思っていたけれど、もしかしたらもっと昔から思いはあって、それが漸く言語化出来るようになっただけで、ずっと変わらず延長線上に居るのかもしれない。
なんて思ってみたり。
自問自答して新しく見つけた!と思っていたものが、実はずっと内にあったものだったなんて。自問自答をしたら新しい発見が出来る!と思っていた私には、それさえも新たな発見だ。
私はこの先、昔の自分が埋めたものを掘り出していくのだろうか。
むしろこれまでの私は何個分の「好き」や「気になる」を埋めたのだろうか。
全部が全部掘り起こさねばならぬものだとは思わないけれど、今だからこそ埋めた当時と違った向き合い方が出来れば良いな。と思った話。
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