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人狼ゲームが好きで好きで嫌いだった話

人狼ゲームを始めて8年が経った。

つまり、小学生が成人式を迎えてしまっている。

私の身長は1cm伸びた。

自分の周りのプレイヤーと比べると、おばあちゃんと言えるくらいには長い期間続けていると思うけど、私は、人狼歴9年目に入った今、一番人狼ゲームが楽しいかもしれない。


【厄介な3年目】

私は人狼人生において、もっとも厄介な時期は3年目だと思っている。人狼歴3年目は、人生の節目で例えると、「新入社員期」に相当する。

ちなみに1年目は「赤ちゃん期」、2年目は「厨二病発症期」である。

1年目は、人狼ゲームのロジックなんか何もわからなくても楽しいが、疑われて意味がわからないと泣いて怒る。当時の私はキレ散らかしていた。私だけだって?うるせぇ黙れ。でもごめんね。

2年目は、人狼ゲームのことがわかってくるので、初心者に対して大なり小なりマウントをとれるようになり、自分の力で勝てるようになるため、「俺強ぇ」と思い始める。

そして問題の3年目。仲の良い友達もでき、人狼ゲームをする頻度も増えてきて、自分より強い奴がゴロゴロ出てくる。人狼ゲームについて自分の価値観も生まれてくるので、考え方が合わない人も現れる。理不尽な目に遭うことも増える。新入社員の時ってそんな感じだよね。そんな時期にどうなるかというと、「自分は弱い、人狼ゲームで勝てない、向いていない」と卑屈になるか、「勝てないし責められるけど自分は悪くない」と自己防衛するか、「自分は理不尽な扱いを受けている」と憤りを感じるか、いずれかの厄介な状態に陥りやすくなる。ちなみに私は3つ全部コンプリートしている。全部通った。


【好きで好きで嫌いだった】

仲の良い友達もできて、自分の居場所として確立されていたので、そんなメンタルでありながら、人狼をやめるという選択肢は私には生まれなかった。それに、ゲーム中ずっとツラい訳じゃない。<楽しい楽しい楽しい楽しいツラい楽しい楽しい楽しい>から、「ツラい」がしつこく残るだけだ。そしてそれは、人狼ゲームをしてない期間ずっと残り続けるが、次にゲームをする直前には、楽しみな気持ち、前向きな気持ちに戻っている。その繰り返し。麻薬かよ。

そういう、人狼ゲームが好きで、好きで、でも嫌いになる瞬間が何度もあった(改めて書いてみると、「嫌いで嫌いで好きだった」の方が正しく思えてきた)。それが3年目であり、私の場合は5年目くらいまで続いていたと思う。


【ある時突然、バカみたいに思えた】

きっかけは多分ない。ゲーム頻度が少し減ったからなのか、いわゆるガチ人狼をやる機会が減ったからなのか。それも違う気がする。ただゆるやかに自分も周りも変わっていく中で、突然「別に自分、弱くはねぇな」「今だったらこうするな」「理不尽なんて当たり前だろ」と思えている自分に気づいた。いや、少し違うかもしれない。当時もそう思ってはいたんだ。こんなことで悩んでいる自分はおかしい、もっと気楽になれとは思っていた。でもわかっていてもできなかった。

それが、ある時突然、心からそう思えていることに気づいた。あの時の自分のことをバカみたいだと、恥ずかしく感じた。「イキってたな」と思った。


【人狼ゲームを楽しむということ】

今、一番人狼ゲームが楽しいと思えているのは、私が、人狼ゲームプレイヤーにありがちな負感情を全部通ってきた上で、それを「若気の至り」と思えるまで続けてきたからだと思う。中途半端に「なんかモヤモヤするなぁ」ではなく、今思えば赤面するほどに、とにかく落ち込んでいたし悩んでいたし面倒くさかった。お風呂に入りながら思い出して叫んでるくらいだ。

「人狼ゲームは遊びだ。娯楽だ。遊びなんだから気軽な気持ちで遊ぶべきだ。」

私は今、「自分の遊び方」としてそう思えているけれど、この言葉は、正しくて、でも絶対ではないと思っている。人によっては、単なる余暇の遊びの枠を超えて、真剣に競い合うものにもなっているし、より良いプレイヤーになるために、試行錯誤し、高め合っている人もいる。だから卑屈になりつつも真剣に悩んで自分を変えようと努力している人に、「気軽にやれよ」という言葉を、私はかけられない。それも楽しみ方のひとつだから。

「気軽に」じゃなくて「真剣にやって」って思う人だっている。楽しみ方は、マジで本当に思っている以上に人それぞれ。でも相容れない場合もあるから、そこだけ注意しておけばいい。


【おわりに】

当時の私のように、人狼ゲームが好きで好きで嫌いになっている人がいるなら、こう言いたい。

「わかる」




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