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「かわいい」と「仲良く」に関するメモ

8月になると、毎年、否が応でも、戦争の歴史を振り返らざるを得ない。
この令和の一桁代、戦争を直接知っている人から、その体験を聞ける、最後の数年間になるだろうと思う。今のうちに、よくよく耳を傾け、また背景となる知識を仕入れておきたいと思う。
今年もまた、いちごの王さまがメッセージを送っておられる。

ひとりひとりの『みんななかよく』が、いずれ世界の平和へつながっていくと王さまは信じています。


尊いことである。このメッセージが、すなわちサンリオの出発点だと心得なければならない。

しかし、平和の尊さを、戦後日本社会は、世界に向けて発信し続けてきたはずなのに、事実として戦争はなくならなっていないばかりか、拡大する傾向を示している。ウクライナ情勢は予断を許さない。
「みんな仲良く」を発信し続けているサンリオも、世界に進出して、世界中でキャラ大の投票まで行われているのに、それとこれとは別、と言わんばかりに、世界の平和にはまったく影響がない。

「みんな仲良く」というメッセージは、届いていないのか?
いや、そんなことはないはずである。みんな仲良くというメッセージ自体は否定しにくい。

ではあるけれども、私達の個人レベルでも、現実を見渡したとき、「仲良くしない方が良い人たち」というのは、残念ながら居る。犯罪を平気でする人たち、自分勝手な人たち、モラルのない人たち、迷惑な人たち、世の中にはたくさんいる。私たちは、付き合う人を選んで生きている。仲良くなんてできっこないし、すべきでもない。そうしないと、まともに生きていけないからである。
どうしてそうなってしまうかというと、私達が存在として「弱い」からに他ならない。例えば、モラルのない人たちと絡むと、搾取されがちであるし、いじめの対象になることもあり、暴力を振るわれることだってある。しかし、強ければ、そういうことはされることはない。
この「強い」というのは、何なのかというと、何も暴力的な強さだけではない。社会的な強さ、というのがある。お金を持っている、有名人であるというのもひとつであるが、「かわいい」もそのひとつであると思う。
「かわいい」を備えている、子供や若い女性、そして動物もであるが、その者たちは、ある種の社会的な強さを持ち得ている。困窮したときに庇護を受けやすく、人気もお金も、集めることができる。
逆に「かわいい」を備えていなければ、困窮したとしても社会的な庇護は得にくく、見捨てられ、不可視化され、あるいは社会から排除だってされ得るということは、最近の「弱者男性」をめぐる議論をみていると、明らかであろう。

サンリオの世界では、キティさんら「かわいい」を備えているキャラが、「みんな仲良く」を唱えている。それは、それだけの社会的な強さがあるからこそ、可能なことなのであろうと思う。

一方、私達ひとりひとりは、弱い存在である。特にかわいいわけでもないし、有名人でもない、お金もないとなると、「みんな仲良く」は、実践することは簡単ではない。むしろ、そのような力を備えた人(=権力者)に求められる態度が「みんな仲良く」であろうと思う。男性は、金や社会的な地位という権力を得やすいし、女性は「かわいい」の権力を持ちやすい。そういった力を持っている者に求められる、倫理的なコードが「みんな仲良く」なのだろうと思う。
力を持っているものが、倫理的に振る舞わないとき、世の中は乱れる。ここのところ、そういう時代になっているという感じが、とてもしている。


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