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「仲良く」する技術としての京都風コミュニケーション

ウクライナで戦争が続いている

ウクライナで戦争が始まって、1ヶ月くらい経った。まだ終わらない。多くの犠牲者が出ているし、都市も破壊された。しかし、日本でも、周辺国の情勢とも微妙に絡んできていているし、日経平均も影響を受けているので、なかなか他人ごとでもない。

今回の戦争は、ロシアからウクライナへの一方的な侵略戦争であることは、多くの人には異論はない。しかし、ロシアは、ウクライナ東部の親ロ派住民が虐殺されているとして、その保護とウクライナの"ナチス政権"を倒すためという口実で、侵略してきている。喧嘩をしかける方の口実はいつもそうなのだが、自分が被害者になるか被害者に寄り添う正義の味方を演じるか、というパターンがある。やくざも、政治活動家もそうしている。それが、暴力を正当化する口実なのだ。

「みんな仲良く」の理想と、そうはいかない現実

人間だって、国だって、対立が起きているとき、シロかクロかはっきり決められることは少ない。いつも現実は灰色だ。
ウクライナだって真っ白ではないが、罪のない民間人がたくさん殺されているので、ロシアが黒に近い灰色だ。
日本も70数年前にそうだった。真珠湾攻撃をして戦争を始めたのは日本だったが、当時の民間人は空襲や原爆でたくさん殺された。軍需品を作るのに協力してるからという理由だったが、当時の民間人がシロかクロかというのは、はっきりわけられるわけではない。

何度も言及されてきたことだが、サンリオ社はいちごの王さまの戦争体験が、その創立の原点にある。世界中のみんなが仲良くなるための会社として、サンリオ社は業務を展開している。素晴らしいことだ。しかし、現在のウクライナ情勢に関して、メッセージが見えてこない。戦争はいけない、話し合いが大事だというのはわかるが、それが通じない状況に直面したときは、どうすべきなのか。

戦争のない世の中を作るにはどうすれば良いか、戦争が終わってから皆、それを真剣に考え理想を政治に生かそうとしてきた。けれども、戦争がなくなった時代はなかった。日本は戦後平和な時代を過ごしてはきたが、それはアメリカの核の傘に守られてのことだった。そして、危機への対処を他人ごとに捉えるようになってしまったように思われる。
誰もが争いのない平和な世の中を望んでいる。けれど、突然隣国から侵攻されたとき、ウクライナの人々のように武器を取って戦うというのは、理解できることだ。平和な日本にいて、それを責める資格のある者はいないだろう。そして、それは、日本でも起こり得ることというのが、今回のウクライナ情勢を見て多くの人が改めて思ったことだろうと思う。


「仲良く」する前提にある相互確証破壊

「みんな仲良く助け合って」というのは、理想だけれども、現実は大変厳しいものだ。争いが起きるのは、人間と人間の場合もそうだが、パワーバランスが崩れたときだ。強い者同士は均衡を保っていて、お互い認め合い、喧嘩をしないようにしている。米露関係はそうだろう。だけれども、こいつ弱いなやっちゃえる、と思われた瞬間、パワーバランスが崩れ、争いが起きる。プーチンはウクライナをやっちゃえると思ったから、侵略を始めたのだ。
人と人の争いも、こいつなら勝てると思った方が仕掛けて、反撃に遭い争いになる。いじめだって、そういう構造で起きる。つまり、なめられたら争いになる、ということだ。なめさせないためには、こいつとヤったらこっちもヤられるなと思わせるしかない。核戦略の「相互確証破壊」だ。
毅然とした態度と、争いを避ける技術、この両輪があって初めて、いろんな人も国も「仲良く」が可能となると思う。
しかし、争いを避けて生きていると、なめられてしまうことはときどきある。でも、なめられたら争いになりやすから、毅然とした態度は必要だ。その両立が難しい。今の日本の国際関係だってそうだ。


その時計よろしおすな

そこで役に立つのが、嫌だと思っても直接的には言わないで、その人との関わり自体を避けるという方法だ。帰ってほしいときはぶぶ漬けを勧め、話が長くて困ったら時計を褒めるという京都風の方法が、「仲良く」するためのある種、最適化された技術だと思う。
平和な世の中は、微妙な力のバランスの上に成り立っている。それは、平和なときは見えてこない。国と国の関係、人と人の関係もそうだが、そのバランスを崩さないようにすることが大事だ。喧嘩はしないに越したことはないが、そのバランスを保つためには、喧嘩を辞さない毅然とした態度が必要となることがある。ただし、それを表に出すと本当の喧嘩になる。だから、京都風の対処法が有効なのだと思う。
それでも、起きてしまった喧嘩は仕方がない。ウクライナのように、追い詰められた場合は、自衛としてやり返すしかない。そうして初めて、対等な和平交渉が可能になるし、現実的にいまはそういう状況である。その上で、うまく落とし所を探るというのが、大人のやり方だ。ぜレンスキーはそうやって、停戦に持っていくだろうと思う。

我はたたえつ かの防備 かれは称えつ わが武勇
                 (水師営の会見

腹で思っていることは、言葉に出さない。それが、物事をうまく進める昔からの技術である。
早く戦争が終わることを切に願っている。

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