「かわいい」は現実からの救い

ギスギスした世相と救いのない現実

10年前の東日本大震災と福島原発事故、やはり今の日本人の記憶から消せないと思う。震災と津波、原発事故による避難で命を失った人が多かったが、それ以降に拡散された放射性物質の影響で、大きな混乱が広がった。その余韻は今も続いている。拡散された放射性物質は直ちに影響はない⇔後から影響あるんだろ、甲状腺がんは増えていない⇔いや増えているだろ、被曝の影響は確認されていない⇔実際に健康被害があったじゃないか、これ以上の避難は必要ない⇔避難の権利を保証しろ、など多くの対立と不信感が渦巻いていた。
今のコロナの情勢とも似ているところがある。自粛は意味がない⇔もっと強いロックダウン、マスクは常識⇔マスクを外そう、オリンピックを推し進める政府⇔中止を求める国民、ワクチン早くしろ⇔ワクチンの強制反対、ワクチンの副反応で死亡は確認されていない⇔いやいっぱい死んでるだろ、など。いろんな対立構造があるし、インターネットに触れている限り、それは嫌でも目に入ってきてしまう。

また、そういった争いが気になりだすと、何が真実なのか自分でやはり情報収拾をして、それなりに問題は理解してくるが、だからと言って気分が晴れるわけでもない。混乱の中で、不信感が増幅して、そして忘れていくのが繰り返される。まさに「淀みにうかぶうたかた」だ。科学的に正しい知識を得ることが大切だと言われるが、それがわかったとしても、救いがない。

現実は、複雑に絡まりあっている。誰か責任者がいるとしても、その一人に責任を帰せられるものでもない。いろんな人の思惑で現実が動き、結果としてうまくいったりいかなかったりが繰り返されている。コロナがおさまらないのも、べつに、菅首相ひとりの責任ではあるまい。わかりやすい敵をつくって、その打倒のために、罵詈雑言を撒き散らすことは、なんの解決にもならない。でもそれが繰り返されている現実をよく観測する。ほんとうに救いがない。

社会には「かわいい」が必要

私たちは、自分の現実を抱えている。私は仕事を持っている。若い人は学業の最中のことが多いし、仕事も学校もなくても、例えばお世話をしないといけない人を抱えていたり、いろんなやらなきゃならないことを抱えている人がほとんどだ。完全フリーな人というのはあまりいない。日常に楽しいことが多ければいいけれど、そういうわけにもいかない。
そんな中では、どうしても心は曇ってきてしまうし、誰の助けも期待できなければ孤独感を募らせてしまう。どこにも救いがない中で、自分を救えるのは自分しかいないという現実に向き合わざるを得ない。しかし、自分で自分だけでなんとかできるなら、落ち込んだり鬱になったりはしない。
そんなとき、サンリオのかわいいキャラクターを見ると心がウキウキするということに気づかされる。ピューロランドでショーをみたりするとなおさらそれは顕著に感じられる。キャラクターもかわいいだけでなく、一緒に出てるダンサーさんもまたかわいらしい方ばかりだ。そういう人を見て、また現実に戻ったとき、暗い心のなかにもろうそく1本分くらいの灯りが点灯していることに気がつく。いつのまにか、ピューロで聴いた歌が頭の中でまわっていたりする。それが、救いなのだと思う。
べつにピューロランドでなくてもいいのだろう。アイドルの現場に行くと、いい年したおじさんたちが、キラキラ笑顔でオタ芸をしていたりする。それは、アイドルの子らの「かわいい」の力だ。かわいいと感じるからこそ、その子に会いたいし、会ったら喜ばせるためにオタ芸をする、その笑顔がまたおじさんの活力になるし、引いては社会の活力にもなる。アイドルだけではないが、「かわいい」人たちは、その周りの人を明るくする力を持っている。かわいい人たちが世の中に対して果たしている役割は大きいと思う。

世の中にある「友情と愛の世界」

風に揺れるリボンが 導いてくれるよ 友情と愛の世界へ
素敵な仲間が 君を待っているから 歩みを止めずに行こう いつまでも

ピューロランドで聴く歌の中でも、この歌が心に残っている。
このコロナの世相の中で、余計に孤独をこじらせてしまう人が多いように思う。
現代は一人で、他人に頼らずに生活できる場面が多くなった。それは自由の裏返しでもある。しかし、人間は社会を営む生物であるというのが根底にあるので、やはり一人で単独では生きていけない。孤独を感じてしまうと生きる力も減退してしまう。そんなときに、この歌を思い出すと、前向きになれるように思う。
現実は、友情と愛の世界、というような美しいものでは必ずしもない。しかし、友情と愛の世界と感じられる場面もまた当然存在する。美しいものから醜いものまで様々なものが交錯するのが現実だけど、美しいものがあるということを信じられることが重要だ。その信じる心がまた、美しいものを引きつける。逆にものごとの悪い側面をみていると、それに没入してしまって、良いことはない。世の中のニュースは、一旦見るのをやめて、サンリオのコンテンツを楽しむことは、友情と愛の世界に入る、入り口となるのであろう。
コロナで半年間休館の後、おそるおそる再開したピューロランドでは、上演される演目も限られていた。その中で上演されていたひとつが「青い鳥」だ。話の内容は、特に紹介するまでもない。教訓は日常にある幸せに気づけということであるが、それもそんなに簡単なことでもない。現実はドロドロしている、それを避けると孤立する。

それでも、友情と愛の世界を信じること、そこに素敵な仲間が待っていると信じること。それができれば、実際にその世界は現れてくると、サンリオは教えてくれているのだと思う。

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