見出し画像

【おしらせ】ACIM勉強会2024年4月


オンライン読書会


「祈りの歌」(第6回)
@ZOOM 
4月13日 10:00-12:00
☆参加費、支払い方法、ZOOM入室方法などは下の告知サイト内でご確認ください


人が求めて祈るべきは、赦しのみだ。
人はそれ以外のものなら、すべてもっている。

(原典版テキストT1B22n)

今回から、「祈りの歌」の〔2 赦し〕に入ります。

私たちは、「赦し」を必要としている。
人間は生来罪を背負っているのだ。
従って罪のゆるしである「贖罪」が不可欠である。

ーというのが、キリスト教の教義。

それにしても、全人類が罪の穢れに冒されているとは。
これまた話がデカいことで。

ちなみに、伝統的なキリスト教会に所属している方も大勢いるのであんまり大きな声では言えませんが…

キリスト教の始祖と目されているナザレのイエス自身が、このようなことを実際に言った形跡はありません。
もっと言うと、彼は「キリスト教」なる宗教を始める意図さえなかったーというのが現在の定説です。

ま、それはさておき。
必ずしもこの「人間は赦しを必要としている」を、キリスト教の神学的観点で捉えなくてもいいのでは。
私はそう思っています。

ACIMに関して言えば、語り手は、読者層に寄った立ち位置で話をすすめているのです。
それ以上でも、それ以下でもない。
(ACIMは、元来キリスト教文化圏の方向けの書籍ですから。)

洋の東西を問わず、いつの時代も、人間は「なんだか自分が悪いことをしたような感じがする」「自分にはなにかが欠けている」そんな焦燥感に苛まれてきたことでしょう。

そういう感覚が、ACIMのいう「罪悪感」に近いのかな…
ひとまずはここからで。
スタート地点としては、あたらずといえども遠からずでしょうし。

そういう漠とした感覚が、心のなかでシミのようになっている。どうしてもぬぐえない。
それをなんとかきれいにしたい。この「穢れ」を洗い流して、風呂上りみたいにサッパリしたい…
そんな願いが、贖罪を求め、ゆるしを求める心となってあらわれるのではないでしょうか。

しかし私たちは、自分で自分にその「贖罪」「赦し」をもたらすことができません。

でも自分では、それができると思っています。
で、いろいろ自分なりのプランを考えては試行錯誤。そして挫折。その繰り返し。

ああ…私たちはいったい、どうすればいいのでしょう?

ということで、「祈りの歌」を読みたいと思います。


ACIMを学ぶ

4月19日(金)
13:30-15:30 @二子玉川
☆参加費や会場の詳細は、記事下の告知サイト内で確認してください

今回も、前回に引き続き「自我」に焦点を当てます。

自我は、得体の知れないモンスターではありません。私たちが「自分自身だ」と考えている自己概念です。どこまでいっても、結局それ。

しかしこの「自我」をある程度認識しないと、その「向こう」に目を向けることができません。
「自我なんてホントはないんでしょ」と、跳び越せない仕組みになってます。
なんせそれ、自分にとっての自分自身ですからね…。

この「自我」理解のフェーズは、やりがいがあります。
ありすぎて、夢中になっちゃうくらいかもしれません。
それくらい、面白いといえば面白い。

前半の時間は「自我」の概念的な理解にあてます。
後半では、その自我が、自分の人生で「暗躍」する様子を興味深く眺めてみましょう。

それによって、「問題」のほんとうの理由が浮かび上がってくるかもしれません。
それだけで氷解してしまう「問題」も、あるかもしれません。


新しく学ぶACIM

4月21日(日)
13:30-15:30 @三軒茶屋
☆参加費や会場の詳細は、記事下の告知サイト内で確認してください

つくづく思う。
私、名前をつけるセンスないですね。
「新しく学ぶACIM」って。なんだかなあ…
なんかこう、ピリッとしない。

ACIMの邦訳、日本語版は現在いくつか流通しています。
私が確認した限りですが、紙ベースの書籍として出版されているものは、FIP版と呼ばれるものが原書のようです。

このFIP版に関しては、さまざまな意見があります。
そして実は、これが唯一の A Course In Miracles ではありません。

いち学習者としての私の感想なんですが、このバージョン(FIP版)、最初がめちゃくちゃわかりにくい

私自身この「難解さ」に面食らい、最初の15年はまともに学ぶことができませんでした。
もちろん本のせいだけではありません。
私自身の事情だってかなりある。それも事実。
さりとてFIP版の序盤の「難しさ」は無視できないとも感じます。

そこで今回が、こうした難解さを解消し、最初からACIMの意図を理解しつつテキストを読むという企画。

意味不明の呪文のような、テキスト序盤の文の数々…
それが「へえ、これってそういう意図だったのか」と腑に落ちると思います。
最初からこの「著者の意図」が理解できれば、あとは、比較的楽に読みこなせるようになるでしょう。

おもに「原典版(Urtext)」を参照しつつ、FIP版が底本の邦訳タイトル「奇跡講座」を読みます。
ほかのタイトルの日本語版を使っていらっしゃる方は、問題ありませんのでそちらをお持ちください。

っていうかテキスト持参なのよ。
荷物重いですよね。すいません。

この企画は、半年間くらいの予定です。
(設定がゆるいな…)







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?