見出し画像

【おしらせ】2024年2月 ACIM勉強会


オンライン読書会

<オンライン読書会(zoom)>
2/10(土)10:00—12:00
「祈りの歌」

「人を呪わば穴二つ」っていうことわざがあります。

他人を呪い殺すなら、その報いで自分も同じ目に遭う。
だから、相手と自分の、ふたつの墓穴に…。

でも実際、私たちは「赦さない」ことイコール「自分で自分の墓穴を掘っている」という自覚はあまりありません。

だから堂々と(?)「絶対にゆるさない!」なんて言ったり、考えたりするわけで。

私が兄弟のために祈った(求めた)ものは、私自身がほしいものではない。
What I have asked for my brother is not what I would have.

祈りの歌Ⅲ「他者のために祈る」3:5
日本語訳は筆者(言葉を補っています)

相手に(もしくはなんらかの対象に)怒りをもち続けているのは、まさに「自分で自分の墓穴を掘っている」。

でも、あまりに怒りや憎しみが強いと、「毒を食らわば皿まで」になることだってあるでしょう。

それは「私がほしいものではない」。
怒り(または憎しみ、恐怖など)に覆われ、自分がなにを望んでいるのかがわからなくなることもあります。

まずは、その事実。
それを理解し、受け入れることができれば、「祈り」は先へと進むのです。


対面での勉強会


<ACIMを学ぶ>
2/16(金)13:30—15:30
@二子玉川
(場所などの詳細は、文末リンクの告知サイト内でご確認ください。)

私は、いま(あるものの)ありのままをなにも見ていない。
I see nothing as it is now.

ワークブック レッスン9
日本語訳は筆者
(言葉を補っています)


知覚は、自分の個人的な想念(たいがいは、「罪」にまつわる”やましい思考”)が外界に投影されたもの。
これは、ACIMの思考体系において非常に重要な原理です。

でも、知覚がそんなふうに「内のものを外に見る」しくみとすれば…

「内のもの」がまともなら、「外」(の世界)も少しはマシになるはず。
もとい、マシに見えるはず。

ACIMの目的は「自分をとりまく環境(「外の世界」)を、自分好みに作り変える」ことではありません。
むしろ方向性が逆。
自分の思考(「内側」にあるもの)を、ほんとうに自分が望むものに調和させることを目指します。

私たちは、驚くほど「自分が望むもの」について無自覚です。
まずは、それを理解しなければならないでしょう。
「自分自身の内面の調和と統合のために意志(心の力)を用いる」という発想は、この理解から生まれると思います。

「世界を自分好みに変える」ことや、「自分自身をより良く変える」ことに夢中になる。
われわれの人生には、そんなときだってあるでしょう。
そしてもちろん、それが「悪い」わけではありません。

しかし、残念ながら、その「自分好み」の”好み”や「より良く」の”良い”が必ずしもあてにならない可能性があるのです。

もし、いま目の前にある「世界」に”満足”ならー言葉を換えれば、世界に対して恐れを抱いていないなら、内面が調和している状態といえるでしょう。

それは、ほんとうに自分が望む想念を心に抱いている状態が、「外に知覚されている」だけなのです。

…と、そんなことを学びながら、日常へのACIMを活用を考えます。

リンク



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?