予定変更を拒絶する夫
(2021年2月11日 「カサンドラ・デイズ」投稿)
ASDの人はルーティンワークのような変化のないことを望みます。
その裏返しだろうと思うのですが、臨機応変が苦手ですね。
元夫もとても嫌がりました。
これはそんなエピソードです。
この年の猛暑のある日、長男のスイミングの大会があり、私は小学生次男を連れて応援に行くことにしていました。
電車で1時間半ほどかかる始めて行く場所で、道はわかるのですが、プール以外のまわりの施設がどのようになっているのか知らない場所でした。
その日、夫は職場の人たちとレジャーに出かける予定になっていました。
子供の活動には無関心で、このころには私ももう夫を誘うことはしなくなっていました。
車は家に一台あるのですが、夫が使うつもりであるという話が事前にあり、私も了解していました。
ところが前日の天気予報で、猛暑日になるから熱中症に気を付けるようにとテレビで何度も言われていました。
長男の出場する種目の時間を見ると昼に3時間ほども待ち時間があることがわかり、もしかしたら次男を炎天下で待たせることになってしまうかもしれない、と思った私は、夫に交渉してみました。
急で申し訳ないが猛暑日になるらしいので車を使わせてもらえないか、と。
すると夫はムッとした表情で
「こっちが先に使いたいと言って、そのとき了解してもらった。俺の方が先だった」
と言いました。
猛暑のことや、次男を連れていくことや、待ち時間のことについては何も言葉がなく、ただ自分の正当性を主張。
私は再度子供の熱中症の心配を訴えましたが、やはり
「俺が先に予約した。あなたはあのとき了解した。」
という、ひたすらその一点張り。
元夫も職場の人との約束などがあって車はかなり必要だったのかもしれませんが、そういった話もないのです。
「俺が先だった。あなたは確かに了解した。だからこっちに権利がある。」
事情を説明しあったり、どうするのがよいのか模索したり…ということには全然話が向いていかないのです。ただただ、
『俺は悪くない。あなたが諦めろ。』
ということを繰り返されるのです。
訴えれば訴えるほど悲しくなってきました。
そしてとても不思議になりました。
“この人は自分の子供のことを心配しないのだろうか??”
さらに言えば、
“猛暑日に下の子を連れて上の子の応援に行く妻の大変さは全く見えていないのだろうか??”
そう思うと、言いようのない失望感をその時は感じました。
…しかし、今なら半分はわかります。
元夫も、子供の心配を全くしていないわけではなかったと思います。
けれど、予定変更することへの拒絶感 のほうがより多くあったのだろうな、と。
それは生まれつきの特性で、本人にもどうすることもできない、自然で強い反応だったのだろうな、と。
結局この日、車は元夫が使い、私と次男は電車で行きました。冷たい飲み物やタオルをたくさん持って。
幸いクーラーの効いた控室があったので、3時間の待ち時間はそこで過ごすことができました。
残ったのは、私の中で確実に積み重なった夫への失望感。
それと
可愛い小学五年生の次男と汗をかきかき、一緒に電車に乗ったことや、地域の強豪たちと戦っていた長男の勇姿です。
それらはいまは大切な思い出として私の心に残っています。
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