マガジンのカバー画像

絶望はせめて美しく在ってほしかった

14
黒歴史と思い出を文字にしたもの
運営しているクリエイター

2021年3月の記事一覧

とりわけ眼鏡に「ほかの子」と隔絶させられていた話

とりわけ眼鏡に「ほかの子」と隔絶させられていた話

私は近眼になるのが早く、小学6年生のときに眼鏡を作るために連れられた眼科で「右0.3、左0.06です。かなり度が進んでいます。」と告げられた。

当時はまだ眼鏡が高かったのでレンズを薄くするための料金やレンズとフレームの強度を上げる(ドッジボール対策)ための料金などで数万円したと親が話していた。
そのためデザインが限られてしまい、しかも授業中だけでなく一日中眼鏡をかけていなければならない視力だった

もっとみる