BBA転生

 『まぁ西風さんって何でも出来るのねぇ』
毎回呼びつけては困りごとを頼み、感心したようにそう言う先輩。このころの彼女は50代。私は20代。
彼女の困りごとは本当に大したことではなく、今回のそれも、ただ彼女が詰まらせたコピー機の紙を取り除いただけだ。しかし時代は平成初頭。やっとコンビニに10円コピーが普及し、カラーコピーもできるようやになってきた頃。私はたまたま高校時代から自分のコピー機を持っていて、確かCanonのミニコピア)紙詰まりやトナー交換など普通にしていたので、何ともなかった。しかしまだpcを自宅に持っている人は僅かで、インターネットもなく、PC98とかそのあたりで『プリンセスメーカー』『信長の野望』『大航海時代』『三国志』その辺りのオフラインゲームをしている友人がいるくらいだった。
学生時代の私は電機売り場のワープロで文字を打って遊ぶのが好きだったので、全く触らないで来た彼女達よりは文字を打つのもプリントアウトするのも保存するのもなんともなく勘でやれていた。

 デジカメに3.5インチのフロッピーディスクをはめ込み、それに写真を記録していた。
画素数も今とは比べ物にならない。
私がこの職場に入社した頃にはPOSレジになっていたが、子供の頃のスーパーは手打ちだった。
今考えるとあの頃のスーパーのレジの人凄い。
そりゃ暗算でやり取りする八百屋や魚屋、駄菓子屋などの先輩達には敵わないけど。

 そんな時代に入社したであろう彼女たちは、突然設置されたPOSレジ、PC、プリンター、コピー機などなどにある者は戸惑い、ある者は拒否感をあらわにし、可能な限り接触を避けてきたのだろう。
ほとんど何も知らない のがそれを告げている。

 『爆発しそうで怖い』
この言葉を聞いた時は本当に驚いて二の句が継げなかった。まぁ継いだんだけど。
『凍る事はあっても、爆発はしないですよ』
そう言う私を
『えっ!?凍るの?』
と文字通りポカーンと見つめる彼女を今でも思い出す。
やがて彼女も最低限の自分の担当に関する作業を覚えざるを得なくなり、困るたびに呼び出された。
その後暫くして、FSPが取り入れられる事になった時、その彼女達の覚えなさの原因だと思われる物を見る事になる。

 操作の説明書いわゆるテキストを渡されたのだけど、まぁ無駄が多い。1表紙 2パスワード入力画面 3入力する場所を矢印で指している画 4パスワードとエンターを押す 5次の画面でコマンド選択してエンター 6開いた画面からまたコマンド選択してエンター……延々と1ページ1アクションのバカみたいなテキスト。一人一冊。紙とトナーと電気代、綴じる人の時給の無駄遣い。もちろん載せ忘れている項目もあり、結局わかる人を探す無駄も発生した。
本当にたいしたことじゃないのに。
でも、ワープロですら、彼女達にとっては、社会人になってから現れた物で、一般家庭に普及する物でもなかった。悪いとすれば、我先にと導入だけして、店舗にばら撒いて、各店舗にちゃんとした教育を行わなかった会社だ。

 たまたま私はコピー機を所有していて、ワープロを触りなれていた。何より、そう言う物が好きで、どんどん吸収出来る年代でもあった。
ITなんて言葉は聞いた事もなく、この頃やっと
『情報処理』系の専門学校が出始めた。  
学校の授業にパソコンが取り入れられた頃だ。

 ネット環境は無く、使用するソフトも
懐かしの『いちたろう』
進学科じゃなかったので、ワープロ程度の授業しかなかった。
家は父親のギャンブル病のおかげで
貧乏を絵に描いたような家庭環境。
自分のコピー機は、親にローンを組んで貰って、お小遣いで払ってた。そうまでして欲しかった。
さすがにパソコンまでは。
そもそも何に使うのかもよくわからないくらいだったから、必要性も感じなかった。

 あれからン~十年‼︎

 時は少女よりも超特急でかけて行き
一家に一台どころか、一部屋に一台エアコンがあり

一人が一台スマートフォンを持ち、家によってはパソコンもしかり。
気付けば私が取り残されたBBAと化していた。

時間って残酷ね。

この令和の時代になってなお
自分のパソコンを所持した事もないまま。
当然、して来た事のある作業以上の事は出来ないので、エクセル、ワードすら
『何じゃそりゃ?』
なのでプログラミングなんてもちろんわからない。
必要に迫られないので知ろうともせず
ここまで来てしまう。

50代になって、必要性に迫られ
WordとExcelをスマホで調べながら
簡単な表を作ったりした。
いゃぁ便利w

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