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あなたは 霊 の存在を信じますか?

私はといえば、特にどちらでもありませんでした。
特にこれといった心霊体験など、思い当たらないし、周りにも霊能力者は居なかったからです。
不思議な体験 なら、いくつかありますが、いずれも心霊体験、心霊現象とは言い難い。
そんな私が、霊、というより、魂の存在について考えるようになりました。

まず最古の体験は小学生の頃、ゴロゴロしていたら、急に身体が動かないような気がしたのと同時に、遠くから数人の子供が遊んでいる声が聴こえて来ました。
近所の子に思い当たる子の声ではないし、何を言っているかもわかりませんでした。私の感覚では、身体は、動かそうと思えば動くかも知れない、と思いながら、でも動かそうとしない。そんな感じでいたら、横向きに くの字 に曲がって寝転んでいた私の背中から、誰かが入ってくるような感覚を覚えたのです。
背中のファスナーを開けて、着ぐるみに入るようなイメージで、入ってきてるのは『骨格標本』のような感じ。背中から足を突っ込んで、腰まで入って次は腕…
その後の記憶はありません。ただ痛かったのは覚えています。痺れるような痛みが、骨格標本の入ってくる所に広がって行きました。俗に言う金縛かな、寝落ちる直前の半覚醒状態で、夢でも見たのかなと思い最近まで忘れていました。

次は高校時代。
友人宅に泊まりに行った際。夜中にお手洗いに行きたくなった私は、友人の部屋を出て、廊下の突き当たりにあるお手洗いへ向かう途中に、廊下の上空に辺りの暗さよりもっと黒い『何か』があるのを見たのです。
昼間そこには何もありませんでしたし、翌朝もやはり何もありませんでした。灰色の色画用紙の上に、黒い折り紙を置いたようなはっきりとした黒い何かは、逆三角形のように見えました。どんなに見ても、厚さははっきりせず、結局何も、わからないまま今に至ります。友人にも何も言いませんでした。
説明するだけ無駄だろうなと思って。
そして、心霊現象とは違うジャンルだと思うのですが、『虫の知らせ』のようなものを何度か体験しました。父方の祖母と母方の祖父は病院で亡くなったのですが、亡くなる日、私はたまたま気が向いたり、道を間違えてついでだからとお見舞いに寄っているのです。二人共、私が部屋に入ったら、ぐっすりと眠っていました。起こすのもなんだし、来るつもりだったわけではなかったので何の差し入れも持ってないし。
そこで、私はしばらく手の上に私の手を重ね、寝顔を見つめていました。目覚める様子も無かったし、仕事帰りだったので、そのまま帰った日の夜中に病院から電話で、息を引き取ったとの知らせが来たと親から電話がありました。これが『虫の知らせ』ってヤツなのかな。くらいにしか当時は思いませんでしたが、もしかしたら、呼ばれたのかも知れないな、と今は思います。毎日帰る道を間違えて祖母の入院先の病院の前に来るとか、急に祖父の顔が浮かんで、寄って帰ろうと思ったり、なんだか偶然とは思えなくなったのです。

そして母。私はその日アルバイト先に居ました。
全くお客様の来ない、暇な日でした。
暇なのは全然平気なのですが、その日は途中から急にイライラそわそわし始めて、全く理由が分からないまま、落ち着かない胸騒ぎに心を占拠されていました。
そこへ一本の電話。誰からだったか思い出せないけど、父か弟のどちらかだったはずです。
『オカンがハネられて病院に運ばれたからすぐ来てくれ』という内容でしたが言葉や声を全く思い出せません。とにかく事情を話し、早退した私は病院に駆けつけました。廊下のベンチには、ハネた車の運転手がこの世の終わりのような状態で座っていました。
電話では何も分からなかった。かけてきた家族も、電話を受けてそのまま私にかけて来たので、着いて間もない感じでした。母の元に行くと、血まみれの上着、朦朧とした状態で泣きながら父に『お父さんごめん』と繰り返し謝る母。『えいえい』と、頷く父。
幸いにも、命を取り留め、回復しても、車椅子の覚悟を、と言われていましたが歩き回り仕事も出来るくらいに回復しました。ブレーキ痕がなかったとの事で、隣の市へ帰る途中だったハネた人はノーブレーキで母をハネたらしい。夜中だったので、急いでいたのか、居眠りしたのかは不明。あの経験した事のない、説明のしようのない胸騒ぎは『虫の知らせ』だと思っています。

そして父の死。
私と父は、相撲が好きで、いつか地方巡業に来たら、一緒に行きたいなー、と思いながら、日々に追われて気づけば父ももう80に。
たまたまその年に地元に相撲巡業が来る事を知った時、父と行く事を考えたのだけど、行ったらこれが最後の思い出になるんじゃないかと思って、チケット手配を躊躇していました。
それまでにも何回か地元に相撲の地方巡業はあったのに、その時は自分すら行こうとしなかった。
市外や県外の巡業には一人ででも出かけて行くのに。
なぜ今回に限って父と行く事を考えたんだろう。
行く事で父の死亡フラグが立つのでは?
良くない思いばかり浮かんで、毎日チケットの残りをスマホでチェックしていました。
いよいよ、2階席の一番安い席も残りわずかとなり、思い切って母に言ってみました。
『お父さんと相撲行こうかと思うんだけど、行きたいかな?』母は、『いいんじゃない?喜ぶと思うよ?』
その言葉に押されてチケットを取り、いよいよ当日。
何年も離れて暮らしていたので、思いのほか老いた父を見てショックを受けたのを覚えています。
父は近所のスーパーで2つ入りの小さいどら焼きを買って来ていて、一つずつ食べました。
途中杖に寄りかかり、ウトウトとする父。
相撲に夢中になる様子もなく、なんだか悪いことしたかな、しんどいみたいだな、と思いながらやはりまた悪い予感に見舞われる。この日を思い出して泣く日が来るのは確かだけど、出来るだけもっと先にして…
そう願っていたのだけど、その年の暮れ、体調不良で近所の病院へ行った父に、癌が見つかった。
もっと大きな病院へと私の住んでいた所に近い病院へ転院したと電話があり、仕事帰りに病院へ。
母はもう話を聞いたから、弟と二人で聞いて来てと言われて弟と説明を受けた。
先生の口調は淡々としていて、開口一番の言葉が
『持って半年と思っておいてください』だった。
『半年…て……』
そう漏らすように言って静かに涙を流す弟。
言葉も出ない私。机の上のモニターには入院患者の名前がずらりと並んでいて、父の名前の前には赤で✖️印がついていた。ショックや悲しみ、に入り混じってその配慮のない✖️印に腹を立てていた。

やはりあの時、相撲に誘わなければ、癌になってなかったのではないか……
いまでも元気にいられたのではないか……
その考えから逃れられなかった。
チケットを買う前にそこに思いが至っていただけに、自分を責めずにいられなかった。
父はもう自分が癌だと知っている。
母はもう父も年だし、絶対助かるならまだしも、そうとも言えない手術にしんどい思いをさせるのは酷だという。私と弟はなんとかならないか病院やネットの情報を漁りまくり、県外の病院にセカンドオピニオンの相談もした。結局、何も、出来なかった。
父は毎日来なくていいと言うが、私は近々地元を離れる事が決まっていたため、
『向こう行ったら、そうそう来られなくなるから、来られる間だけね〜』重くならないように、そう軽く答えていた。父は私の大好きなあの笑顔でうんうんと頷いていた。入院から2カ月になる前に、私が地元を離れる前に、その日はやってきた。
『今日明日だと思っててください』慣れたもんだ。
私、母、弟、父の妹(父は養子なので実の妹ではないが)4人が、もう返事も出来ない、意識があるのかどうかもわからない父の側にいた。弟が夜中に帰宅し、私はエレベーター横のソファで仮眠を取っていた。
私が外に出れば、母と叔母がゆったり座れるから。
中綿のコートを布団代わりにかけて横になって居たら、いつの間にかウトウトしていた。
その時だった。
病衣の父が、眠る私の側に立って、眠る私を見下ろしながら、あの大好きな笑顔でうんうんと頷くと、くるりと背を向けて歩いて行った…
私は『待って、お父さん!』と夢の中で叫びながら目を覚まし、ガバッと身を起こした。
ちょうど叔母が私を呼ぶために、病室を出て廊下の角を曲がって来た所だった。
廊下中にけたたましくアラームが鳴り響いていた。

『亡くなった方が夢枕に立つ』
そんな言葉があるのだから、似たような体験をされた方が昔からいたのだろう。
今のところ、人の姿をした幽霊的な方を起きている状態で見た事はない。
夢枕に立った父は、健康な頃の顔だった。
この一カ月で、痩せ細った顔でも、点滴で、下がる一方の血圧を上げている為、ぱんぱんに膨れ上がった手でもなく、背中も曲がっていなかった。
ウトウトしている耳に、恐れていたアラームが聴こえ、頭が勝手に想像した作り物かも知れない。
でも 私はこの日から、魂の存在を 信じ始めている。
ありがとうお父さん。愛してるよ。

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