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ドラマ「祭りばやしが聞こえる」のこと。

ショーケンのTVドラマとしては「太陽にほえろ!(1972~3年)」「傷だらけの天使(1974~5年)」「前略おふくろ様(1975~6年)」「前略おふくろ様II(1976~7年)」に続く「祭ばやしが聞こえる(1977~8年)」である。

その間にも数本の作品があるが、このドラマは室田日出男と"ニーディ・グリーディー"という新事務所を作っての意欲作だ。監督には工藤栄一、田中徳三など、音楽は大野克夫に主題曲「祭ばやしが聞こえるのテーマ」柳ジョージ。山崎努、室田日出男とのコンビも素晴らしいが、いしだあゆみとの出逢いもここである。

『「祭りばやしが聞こえる」で共演し、私たちはお茶を飲んだり、食事をする機会を何度か持った。お互いに意識はしていたと思うが、当時の私はそれどころではなかった。「祭りばやし…」は、私が室田日出男さんたちと一緒に作っていた会社、ニーディ・グリーディの制作だった。普通、テレビ映画は16ミリで撮るのだが、「祭りばやし…」は35ミリ、映画用のフィルムで撮っていたため、はなから莫大な赤字を背負っての仕事だった。その上、室田さんが大麻で逮捕され、当然会社も私も疑われることになってしまった。ショーケンも一緒に吸っていたんだろうと。世間にどう思われようと、その時期私は室田さんと一回もそういうことはやっていなかった。室田さんは責任をとって会社を辞めると言い、結局は会社を解散することになった。室田さんばかりを辞めさせて、私だけが残り会社を続けるというのでは、世間が許すわけがない。それならいっそ解散しようということだ。あとに残ったのは借金と挫折感だけだった・・・・。加えて、前のカミさんとの離婚。「離婚だけは避けられないのですか?」疲れ果てていた私に、彼女はそういってくれた。が、私は結婚生活に終止符を打った。慰謝料、養育費、借金、そして挫折感・・・・。何もかもなくした私に、それまで住んでいた家は大きすぎた。家を手離し、手持ちの金だけを持ってバリ島へと旅に出た。あの時期、何もない私にたったひとつ女房の存在があった。離婚さわぎの間、一ヶ月ほど会っていなかったが、飯が喉を通らないほど、彼女の存在は私の心の中で大きくなっていた。完全に恋をしていた・・・・。』
萩原健一著作「俺の人生どっかおかしい」より抜粋

あらすじは、競輪のレース開催中での事故により負傷した競輪選手の主人公・沖直次郎(ショーケン)が、先輩選手(山崎努)の実家の旅館で世話になりながら復帰を目指すというもの。
旅館の女将に、いしだあゆみ、やがてドラマ上でも恋に落ちる。
それにテキ屋の元締めに室田、その子分に下馬二五七(劇団天井桟敷)山崎努の奥さんは中原ひとみ、という布陣だ。

テキ屋家業で手伝いをする辺りが傷天を彷彿とさせ、下馬さんとショーケンの絡みのテンポは、まるで修とアキラだ。
室田日出男は、前略の半妻さん、だから傷天のヤクザ(不良)な雰囲気と、前略のストイックな感じが同居してる感じがした。

前半6話あたりまでは、はっきり言ってすごく緩くて退屈してしまう。情緒はあるのだが、淡々とし過ぎていて重い。
その後、競輪という足枷が解かれ、テキ屋の手伝いを始めたり、恋をし始めてからは調子がでてくる。

競輪のライバルに小林稔侍、ビラ貼りの仕事の時には殿山泰司、高利貸しの清川虹子、いしだの親友が吉田日出子とゲストもいい。

つまり、悪いところがそれほど見つからないのに煮詰まっているような空気感は、沖直次郎の競輪を続けるのか否か、どっちつかずな中途半端の所為なのだろうか。
一話完結が多いので、個々に面白味は生まれるのだけど、長期的にみたら少し緩慢な気がしてしまうのでした。

富士吉田での景観や町並み、当時の富士急ハイランド、それに新宿(ショーケンにはこの街がとてもよく似合う)など、昭和を感じさせる景色はノスタルジィである。

それと、競輪レースという題材が賭博の持つ泥臭さ、選手たちの試合前や練習シーン、屋台を仕切るテキ屋と祭りの影、閑散とした古びた旅館に場末なスナックが主な場面であったりもして、どことなく陰鬱な感じがする。

どこかのインタビューであったが、当初は、F1レースを題材にするはずだったという、フィルムの拘りといい、映画並のスケールで始まった作品なのだろう。
そして惜しむらくは、室田さんの逮捕で後半に彼は出演できていない事、室田と山崎努とショーケンという3人の絶妙なバランス感がこのドラマの妙であったのに、それが壊れ、なし崩し的に最終回を迎えてしまうのだった。

残念だったろう、これは。

このドラマの後半で流れるデイヴ平尾(ゴールデン・カップス)「一人」 
これは「傷だらけの天使」最終回で、アキラを夢の島に捨てにいく修の場面、エンディング曲。
作詞は岸部修三(一徳)作曲は井上堯之。
つまりそうゆうコトなのだろう。
ある物語が違う物語へと繋がり、現実もそれに追いつき、そして追い越され、全部が同時にそこに生まれる。

このドラマと並行して、映画「八つ墓村(1977)」
終了後のドラマは「死人狩り(1978~9)」
80年代に入って大作映画「影武者(1980)」「誘拐報道(1982)」、神代辰巳監督とタッグを組んだ「もどり川(1983)」「恋文(1985)」「離婚しない女(1986)」と続くが、やはり83年の事件が尾を引くことになる。
84年には、いしだとの結婚生活も4年で終えてしまう。

萩原健一という長い役者人生の、抜け落ちたピースが、このドラマにあったことは間違いない。
こういったテレビ作品が、埋もれてしまうのは口惜しい。
確かに、傷天や前略と比べてしまうと地味ではあるが、山崎努、いしだあゆみとの共演というだけでも価値のある作品なのだ。

【archive】2018.

あとがき

4年前に書いた記事です。
まさか次の年に亡くなるなんて夢にも思いませんでした。
ちょうど昨日「南へ走れ、海の道を!(1986)」を観た。
岩城滉一主演、ショーケンは友情出演で少しだけ、広島から沖縄へ乗り込んでくるヤクザ役。
そのカメオ出演で、眉毛を剃り杖をついて、しっかり(過ぎるほどの)役作りをしてる。
室田日出男(沖縄ヤクザ組長役)とも久しぶりに対面していた。
マンション一室へ行ったショーケンが、主役の岩城滉一を追い詰め、杖でドアをだんだん叩く。ドアの後ろで銃を構える岩城が思わず失笑しちゃってるところが、印象的でした。
前略2最終回で、サブちゃんの代わりに入ってくる若手が岩城滉一だった。
そんな絡みも面白いとこ。

ショーケンの抜け落ちたピース、あまりも多過ぎる。