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【鉄面皮日記】22/04/23

こんな真っ昼間から日記をつける異常。
そんなのもいい、就寝前につけるだけが日記ぢゃないゼ。

2016年4月21日プリンス崩御。
その年、1月10日デヴィッド・ボウイも亡くなっていた。
それから次の年、2017年3月1日ムッシュかまやつも逝った。
その辺りからだろうか、なにかそれまで蔑ろにしていた音楽に戻る。
蔑ろ、いや違う、当たり前にそこにあるものが失われていく喪失感、
それ以降も、様々なアーティスト、俳優たちが旅立っていく。
しょうがない、としか言いようもなかった。
丁度60~70年代に活躍した彼等の順番が巡ってきているにすぎない、
とはいえ淋しいものです。
なにか貢献できることはないのか?
それで2017年7月に、BASEでレコード盤を売るネット店を拵えた。
趣味と実益、それと昔とった杵柄というヤツである。
今まで一緒に伴走してくれた音楽のバトンを渡していきたい、
僕じゃなくてもいいのかも知れないけれど、
なにしろレコードが好きなのだから、
それを紹介したいというエゴも働いている。

そのショップに注文がきた。
直接、携帯電話が鳴った。
そんなコト初めてだったのだが、ネットの扱いが不慣れで直接取引とのコト。
そうだよな、今や日常に家電のように鎮座してるパソコンも、インターネットも、僕らにとっては新参者だ。
まだ僕なんてマシな方で、この新基軸とやらに手こずる方も多いのだろう。
どこもかしこもIT化だの、ネット決済だの、AI解析だの、
利便性を吹聴して止まない波が襲ってくるのだから、
その波に揉まれたくない者にとっては迷惑千万な話だ。

ここで自分の話をすると、電脳化(僕はこう呼ぶ)は1994年頃だったと思う。
憧れのAPPLE Macintosh LC575 を購入した。
ディスプレイ一体型、美しい筺体だった。
そして何をやっていたかといえば、デスクトップを着飾ったり、目的もなくアプリを出し入れしていただけに過ぎないのだが...

ハイパーカード(Hyper Card)で、ハイパーテキストを実現した簡単なプログラムやゲームの開発に触れられた。
いわゆるマルチメディアオーサリングツールというヤツである。
カードとカードをリンク出来る、クリックひとつで違った世界へジャンプする、扉の先には新しい景色があった。
(それを世界に張り巡らせればインターネットとなる)

パソコン通信(文字だけ)を通り、インターネットの到来、
ダイヤルアップからISDN、光、急激な通信速度に振り回されたが、
2000年前後にはネット販売に手を染め、ヤフオクなどへ出品しそこそこの売上をあげた。
店舗が要らなくなってきたのはそういったコトとも無関係ではない。
そんなわけで2003年頃からレコード販売はネットへ移行し、店舗は飲み屋になっていくのだが、それはまた別の話。

僕はSF好きだったので、その世界へ近づく素養もあったろうし、なにしろ時代が丁度よかった。
コンピューターへの憧れも強かったし、20代から触れておけば拒絶反応も少ない。

PCの世界は限りなくスピードを増し、ネットや携帯電話の普及がそれに拍車をかけ、もはや家電レベルの玩具と言えなくもない。

しかしレコードアナログ盤からカセットテープ、CD、MD、ダウンロードまで、有形無形へと推移した音楽のように、僕らはただただ購買を急かされる消費者に過ぎないということにも気付くだろう。

ネット社会では、あらゆる情報が行き交い、
僕らの趣味嗜好は解析され売り裁かれていく。
ここは新しいビジネスフロンティアだ。
無きモノを売り買いする者たちは、さしずめ亡霊か、
見えず存在しない交換の法則が、僕の大事なモノを奪っていく。
もちろん大事なモノがここにある人たちは別だ。

とりあえず近い未来だ。
予測可能な近未来、キミ達が稼ぐであろう賃金は、根こそぎ彼らに握られてしまっているだろう。
そうなるように仕組まれているゲームなのだから、負けるコトは必至だ。
この消費ループから脱するためには、今の生き方と思考を変えていくしかないのだが、その方法は紹介できない。
なにせ自分自身でさえその真っ只中で右往左往しているのだから。

そんなわけでだいぶ横道に逸れてしまったが、

“CYBERIA”

「混沌の中にも、ある種の秩序がある」
 -
Jerry Garcia

まだ暫くは、この大海原で身悶えを続けていくのだ。