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独り言つ。 2022.01.18.

2022.1.18.十字路

ここを始めて10日過ぎたのであるが、特に何の変化もないのだ。

北陸地方は雪が降り続いていて隙をみて雪掻きをするのだが、どうせまた積もってしまうんだからやっても無益なんじゃないのかと思ったりもする。
でも少しでも掻いておかなければ積み上がる一方だから、近所のおじさんおばさん達に混ざる。それに運動不足の身体を動かすと気分は悪くない。
一見、役に立たないようなコトでも、遠くから俯瞰してみたら、次へ渡るためのプロセスだったと気付くこともある。
要は時間の経過と、自身の器量を試されているんだから、時には忍耐も必要であるのだ。
と、好意的に捉えておこう。

コロナブームを回避し20ヶ月余り定職には就かず、家でレコードネット販売を軸にやっていた。
いわゆる軟禁状態であるが、元々こういった生活に抵抗はなくて、思い返せばいったいその時間をどのように活用していたのだろうかまるで思い出せないのだが、緩く生きていたに違いない。
独り宇宙船に乗り込み、広大な宇宙を彷徨っていたような心持ちだった。
ネット配信の映画を大量に見て、お酒を飲む、本を読む、絵を描く、音楽を聴く、そりゃ自由なもんだ。
傍には猫も居たし。
それでもね、やっぱり、書を捨て町へ出よ、という声もきこえてくる。
経済的にも苦しくなってきてもいた。家人にも心苦しい。

それで一念発起し、近所にある介護施設の送迎運転手へと志願(パート) 去年12月の一ヶ月間従事したのだが、余りの不向きさにやられ退却を余儀なくされたのだった。
少し敷居が高かったのかも知れぬ。
送迎なのだから運転さえしていればいいのだと高を括っていたら、存外にも介護の比重が高く、日に日にその患者の領域へ引っ張られていく。つまり病んでいくのです。最初のうちは新しい世界に楽しみを見つけられたが、老人、怪我で車椅子、アルツハイマーに痴呆、パーキンソン病とそんな行列を引っ張っていくうちに、これは生半可な気持ちではやれないぞという気持ちが重責となり襲ってくる。
送迎の道順から患者の名前と病歴を覚え、介護補助のような仕事もやらされ、中には家へ入ってベットまで連れていかないとならない人もいて、その個人の生活を否応なしに垣間見なくてはならない。
どうも違う、いや違うというか仕事として割り切るのか、とことん介入していくべきなのか、どうも只の仕事としては重圧なのだった。
そんな訳で研修期間内に離脱、過度な責任感を持っているコトを自覚した経験となった。

振り出しに戻る。

それで老舗映画館のアルバイトの面接にも出掛けたのだが、「新しい血を導入したい」とか云々、やんわり断られた。
年齢の所為であろう。もう若くはないのだからね。

僕も新機軸を導入したい、と動いてみたのだが、まだ篭るしかないようだ。
この雪じゃあなぁ、暫くは出られないな、と独り言つのである。