グレショー・大暴力の考察・感想つめつめ

※引用元のツイートは全て私のものです。

※某アイドルグループ……某ア と表記します。


【こちらはフラッシュフィクションについての考察、感想置き場です。
これはまだ本番ではない、キャラクターについての考察はまとめ2の方をご覧下さい。】


プリンとバイオレンス

なんとなく全てのフラッシュフィクションの基準になるのかなと思っている話。

この作品の中でここまで登場人物の関係値とストーリーが明確なフラッシュフィクションは数える程しかない。

というか、どこを主題の"暴力"と捉えるのか、というのが視点によって変わりがちな他のフラッシュフィクションに比べて、明確なのだと思う。

暴力として挙げられるのは、安堂がプリンを勝手に食べたこと、それを嘘をついて誤魔化したこと、ナットくんが安堂にかけた足技……と複数あるが、

プリンを勝手に食べる → 我儘、自分勝手
(警察に届けます、酷薄、剥製等)

嘘をつく → 言葉の暴力
(ぼくのまち、百億万回レース等)

足技 → 体の暴力
(某ア高本の事故、ガラスの水族館等)

と、後に出てくるフラッシュフィクションで基盤になる別の3パターンの暴力が畳み掛けるようにおこなわれている。

それからあまりに身に覚えのある日常的なやり取りであること。

こういう話をこれから1時間ちょっとやりますよ、という紹介にもなり得る部分である気がした。

一発目としてこのシンプルなものを持ってくるからこその後の展開がしんどくもある。

この話がどうの、というよりは、作品を通しての全体の流れを作るフラッシュフィクションなのだろうなと感じた。



銃撃

最初にびっくりした話。

嗜好って難しいよなぁと改めて思う。

自分じゃそうそう調整出来ないし。

話の軸としては、遠くの大きな暴力(銃撃事件)を"見てるだけ"の公野と、近くで小さな暴力(体の暴力パンチ)を"実行する"高本、

果たしてどっちの方が良くない?

的な事なのかなと思った。

倫理的には両方アウトだけど、結局実害出してるのは高本だしなぁ。

某アのターンで公野くんが痛がるくらいの強さで殴ってることも明言されてるし、

プリンとバイオレンス中のプロレス技みたいなのをかけられて笑ってる安堂
(演出上、殴られて怒る公野と笑う安堂なので、少なくとも演技の正解は前者は痛く、後者は痛くないと見る)
との対比で余計ガチな事が引き立てられる構造な気もする。

うーん、絶妙。

プリンとバイオレンスの同性愛に触れる脚本と併せて、1話から既に社会派感が出てきました。

関係ないといえばないけど、結局この2人は付き合っていて同棲してるのか、ただのルームシェアなのかも知りたい。

ただ、一緒に住んでるだけで交際を疑われるのも本人たちにとっては暴力になり得るのかもしれない。


この愛は警察に届けます

プリンとバイオレンスで展開された仲の良い恋人、

また銃撃で不満そうながらも高本の言うことを聞く公野という関係性から感じられた関係性から一転、

一方的に愛を伝え続けるストーカーのフラッシュフィクション。

確か本家さんの舞台ではナットくんの位置が女性だった気がするけど、果たしてこのナットくんは女の子なのか……?

お、男のまま強行突破するのか……と思った記憶が。

そもそも本家さん用の脚本だからグレショーの視聴層なんて知る由もないとは思うんだけど、

熱心な視聴者の殆どが女性のAぇ担であろうグレショーで、男の話の通じないストーカー役というのはなかなかに攻めてるというか。

なんというか、普通に怖い。

自担なはずなのにな……。

なにが酷いって、プリンとバイオレンスと同じ2人にこれをやらせるところ。

まあ、安堂はネカフェ難民(衣装一覧のところに表記あり)だし、ナットくんはカタコトだし、別人であることは確かなんだろうけど。


タイムマシンで来た二人

以下「ガラスの水族館」欄にてまとめて展開。


君の剥製

タイトルが「君"の"剥製」。

君は勿論安堂ではなく三城平の元カノの事で、本編に登場しない元カノを二人称にする三城平が本気で安堂を見ていないことが分かる。

状況は変わってないけど「君"は"剥製」なら安堂の事を認識はしている事になるし、まだ救いはあったような……

ないか。


選りすぐりの孤独

※友達はどこだ!はご本家様が大暴力を上演した時のタイトル。

散々監督から「もっとわざとらしく」と言われた結果ヨシ子の引き出しから"男の演じるあからさますぎる女"を引っ張り出してきた佐野くん。

これを"男の予想で演じた女"と解釈。

選りすぐりの孤独とき君の剥製が繋がっていて、選りすぐりの安堂→剥製の安堂が同一人物だった場合、

選りすぐりにおける安堂の心が女であっても、男が演じている以上偽物

元カノの偽物(剥製)になってもらうには丁度いい



ちゃんと安堂を見てもいない三城平にすらそう見られていた

=

今まで出会った人達(選りすぐりの他メン)にもその違和感を覚えられていたから、男にも女にも見られずハブられていた

という一周考察。

散々偏見に晒され孤独に悩んできた安堂が、選りすぐりでやっと出来た恋人(三城平)に元カノの代替にされていた……

なんて最悪だけど、全然選りすぐりの一員くらいになら私達もなる可能性は高そうですよね。

これはただの感想。

だけど高本と榊を演じてる末規は公式気まずいコンビだと思うと、

ふたりが同じクラスにいたらこういう関係性になってた世界線もあったのかもな……と思わせる演技力がえぐい。

クラス内の仲良しグループが必ずしも全員相性がいい訳では無いし、その上で仲がいい状態をお互い演じてる人の割合って結構高いと思う。

ふたりはアイドルの関係性として気まずいって言葉にして昇華してるけど、クラス内の関係性なら、さらにひとりあからさまにハブられてる人間がいるなら、

縋るように「決めてたんすよ!」もありそうだなと思った。

この話の安堂は、クラス内でハブられるとこうなるよ、という分かりやすい

"見せしめ"なんだろうなと。

これを演じてるのが某アの公野くんであるあたりが怖い。

彼があんまり考えずに喋ってる純粋な人なことはわかってるし、

彼が台本を額面通りに受け取って"安堂をみんなでハブる話"と捉えてるなら、"いじめっ子役"を演じてる可能性もある。

ただ、某アの公野くんについてはナットくんの「俺、殺される理由ないか……」について一番に「ナットくん……(否定の首振り)」の発言もあったから、どの程度考えの及ぶ人なのかは分からない。



理想と現実と現実

※壁→天井

最初と最後に出てくる「どこ見て歩いてんだよ、バカ」はキー台詞として繰り返されている。

天井の話で「俺に構わず行け!」「いいから行け!」と言われて逃げ出す榊。

どこ見て歩いてんだよ=よそ見するな

該当台詞があるシーンでは衝突事故が起こる
(出会いの衝突、車との接触事故)

よそ見をしながら歩くと何かに衝突、榊が不利益を被る
(パンツを見られる、胸を触られる、死ぬ)

と考えると、

榊が高本からの指示(後出しもある)を破ると不幸な事が起こる。

折角高本の采配で逃げ出した榊も、高本の事を振り返ってしまえばどこかで死ぬ事になる示唆であるのかもしれない。

「理想と現実と現実」にこの話が位置してるのはもしかすると、という考察。

これに関しては何も分かってないけど、劇中劇でも尚演じてるのは男なんだなぁと思ったって話。

既にクイズに不正解してしまってる時点でセオリー的に助かるのはどうかと思うんだけど……。

やっぱり私は正門くんの解釈が好きだなあ。

そもそもデスゲームが好きなので天井の下りが好き。(感想)

全部ひっくるめての考察。

この妄想が、死んだ榊にとって高本が後悔しかしないという暴力になるのか、理想と現実のギャップが高本にとっての暴力になるのか。


例の武闘会

警察がかっちり仕事をする時って24時間で言うんじゃないかなあと。

せめて午前とか午後とかつけるよね。

元ネタのDBも分からなければ、いまいち何が暴力だったのかも釈然としてない話。

まあグレショーオリジナルで作って下さった話だし、深い意味がある訳では無いのかも。

なんか開始前に溜めてたパワーをタンクトップで拭く原作を知らない晶哉ちゃんもすこ。
(これは安堂くんと公野くんではなく佐野晶哉と小島健だと思ってる)


愛の酷薄

この話の榊は某アの遊詩くんとは別人感が特別強い気がするというか。

「告白されないようにしてた」と本人を相手に明言してる以上、めちゃくちゃ相手の気持ちを思える人間では無いんだろうけど、

遊詩くんみたいに感情を全開で表に出すタイプでもなさそうだよね。

高本くんはしっかり別人してるけど、まあ正直恋愛について遊詩くんとナットくんが話すシーンはあったけど高本くんは直接関わってないし、向き合い方は分からないね。

高本くんがイライラしながら叫んで、ナットくんが「なんかやってる?」のシーンから読み取れるように

某アでは、感情を完璧に制御できるキャラじゃない

酷薄では、深夜テンションが明言されてる

でワンチャンああなる可能性も全然秘めてそうだなというのが感想。


メキシンカンスタンドオフinドラッグストア

怖くてすこ。

空気感含めて個人的にこのフラッシュフィクションが一番怖い。

幸福宣言

この話の公野は、公野っていうより物凄くこじけんな感じがする。

というかこの話の公野死んでないのかな。

最後ナットくんがどういう意図で棒を振ってたかにもよる気がする。

この話における公野の優先順位は、

戦争を止める>人を殺したくない・殺させたくない>自分の命>ナットくんの命

って感じ。

目の前の命よりでかいところを見てるあたりが戦争のど真ん中にいる人の思考なのかもしれない。

※上下(かみしも)…じょうげではなく上手・下手の略

ダブルミーニングが正解なのかな。

公野を助けてあげて!と公野が最期まで望んだ終戦を叶えたいナットくんかな。

最早白旗のない棒を振るだけじゃ叶う気はしないってのが暴力的なオチ。

ただただ救いがねえ。


singin' in the rain.


傘すっ飛ばしちゃった榊さん。

初回はなんで持ってきたんその傘……と思いながら本編見てた。ごめん。

なんとなく、傘を放るのも意味があることではなくて、ブロックを壊すことも、その曲を歌ってる意味も、なにもかもなんの意味もないのかなと。

ブロックはのちに(本編ではカットされてたけど)安堂がどんな思いで作ったかを述べるフラッシュフィクションがあるし、

無意味に口ずさむ歌は、この後の「物凄く意味と心を込めて歌ってます」と言わんばかりのぼくのまちに掛かってるのかなと思っていた。

けど、傘は使われる予定だったみたいだし、

雨が降っている中傘を持ってsingin' in the rainを歌っていた、

というごくごく普通の状況だったのかもしれない。

ただ雨の中でブロックを壊している人だから変人ではあるけど。

まあ、安堂の独白を加味すると、何かしらの意図があって演出されたものの、あのブロックは一部として消化されるだけでスポットライトが当てられることは無いものなんだろうし、

ブロック自体に意味があるわけではないと見るべきなのかもしれない。

というか、安堂への暴力が可視化された状態が正しい視点なのだとしたら、ブロックに意味を持たせるべきではないのかなというのもひとつの考え方かと。

ぼくのまち

最後滑り込んで帽子を差し出す安堂と足早に立ち去る三城平は双方暴力だと思う。

世間に対して優しい僕ら、的な歌を歌いながらも、三城平が目の前に聴きに来た時点でお金を貰おうと考えながら歌っていたであろう安堂の三城平と世間への暴力(というか無礼)。

お金を払わずに立ち去る三城平は、お前らの歌には金を払うだけの価値がない、と間接的に言っている。

更に言えば、優しさを主張する彼らですら地べたに這いつくばってお金を強請らないと生きていけない世界も彼らに対する暴力。

そんな三角関係的な感じかなと。


優しいひと

生ぬるいリアルな話、 下手したら視聴者に同じような状況を経験した事がある人がいるかもしれないレベルの話。

わざわざこれでレンズ入り眼鏡はなかなかの演出だなと思った。

(消し好きの森くんだなあとも思った)

愛のドキドキ百億万回レース

相手は幼稚園の先生かなあ。

ケンジくんは発言からちょっと歳上でもおかしくない。

安堂とあいこちゃんがお互い、じゃあ同性の友達と遊ぶ事にしよう、とならずに別の異性と遊び始めるの、動物的でえぐいなと思う。


ガラスの水族館

この作品における榊ってバイセクシャルなの?

この作品そういうの多いしいいんだけど、酷薄で散々だった榊が男に乗り換えるのなんかなぁ……。

まあ別人だろうしいいんだけど。

ただ同性と付き合うっていう、榊がセオリーから外れたことに意味がある気はする。

↓君の剥製との繋がり?
(確かタイムマシンと君の剥製は順番が連続している)

三城平がタイムマシン当時の榊を見て、"1人を愛し抜き家族として一生を添い遂げる"というノルマを自分に課していた場合、

振られるとそれが出来なくなる為、代わりを探した結果の剥製。

爆破で殺されたor勝手に別れたっぽい(タイムマシンから水族館の間に公野が恋人になっている)榊の出来なかったことをやろうとしているなら尚のこと縛られている。

↓以下某アとのパラレル考察

某アでメインでケンカしてるふたりが中心で険悪になってるフラッシュフィクションなので、重なる部分が多い気がする。

もし本当にこのタイムマシン→ガラスの水族館が某アのパラレルワールドなら、教祐くんの恨み買うの怖すぎるよね。

「お前ら全員ぶち殺したろか」
「今ので殺すリスト入りました」
とかいう物騒台詞持ちの教祐くんが怨恨爆弾魔役なんだよな……

という話でした。




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