グレショー・『おしりと御飯』のミツルについての考察
皆さんは、グレショー第5回公演『おしりと御飯』に登場したミツルを覚えているだろうか。
小島演じる主人公、義理堅木人情を慕う舎弟の、佐野が演じたあのミツルである。
登場シーンでアクロバットを披露し、「お前は猿か」と言われ、「えへへ〜」と満更でもないリアクションをしていたあのミツルである。
普通に考えて凄いはずのアクロバットを披露して主人公に塩対応をかまされる様は、「あなたのブツがここに」のミネケンを見て思い出した人も多かったはずだ。
そんな無邪気で不憫なミツルの性格や思考などをだらだらと考えていく。
ヒントが少ない為殆ど妄想で補って生きているので、その辺が理解出来る方のみお進み下さい。
さて、ミツオと名前を間違えられていたことが印象深いミツルだが、人情とはそれなりの仲であったはずである。
大前提として、グレショーおしりと御飯放送回第2話放送時のあらすじとして「出迎えたのは、かつての弟分だった」という紹介がある。
ミツルは公式に人情の弟分である。
名前は覚えられていないが。
人情に懐いていたのは一方的なもので、実際のところミツルは人情を含めた全員から疎まれていたのでは?という可能性は先に潰させて頂く。
暴力団の世界で、親分の代わりに服役した人は出所すると、組の中で大きく出世したり、莫大な金を用意されたりというのがお約束らしいが、
人情は見事にそれを蹴り、服役中に得た金も渡し、相当な覚悟を見せたのだろう。
実際のところ、人情が手放したのはあの封筒だけじゃなかったはずである。
そんな人情が目指した"カタギ"。
そして、他の組の人間には言わないが、ミツルに対しては自身も目指す"カタギ"になることを勧めたのだ。
迎えただけのミツルにはなんのこっちゃ分からないだろうが、人情にとっては大きなことだったのだろう。
躊躇なく勧める様は、自身がカタギになることを決めていたように、ミツルにも勧めることを事前に決めていたのではないかと推測出来る。
ちゃんと大事な弟分だったのだろうと、私は思う。
名前は覚えられてないけど……。
まあ正直、人情は全編を通してほぼ出ずっぱりにも関わらず家族以外の名前を呼ぶシーンがミツル(ミツオだけど)しか無い。
人情が異様に人の名前を覚えられないか、もしくはミツルというワードが何かと被ってどうしても間違えてしまうなどの理由があったのかもしれない。
名前で呼ばれている時点で、人情にとっては物凄く近しいのでは?というのもひとつの見解。
ミツルのセリフからの考察。
ミツルには数少ないセリフの中に、
「俺今、グルテンフリーやってんすよぉ!」
というなんとも言えないものがある。
大前提として、グルテンフリーはダイエットの印象が強いが、食後の血糖値の上昇を緩やかにしたり(これがダイエットに効果的らしい)、体質や肌質の改善等が期待される等、健康志向のブームの一環である。
日本でグルテンフリーが流行ったのは2017~2018年くらい。
(流行元のアメリカでは2015年頃から)
グレショーにおける『おしりと御飯』の放送開始は2021年5月。
人情には「日本人の誇り、白飯や!」というセリフと、
裏付ける「どこに日本の刑務所出てきて縁もゆかりも無いベトナム料理のフォー食う奴がおんねん」というセリフがある為、
ふたりは日本人で、舞台は日本国内と見て間違いない。
つまり、多少ブームに遅れてのグルテンフリーに挑戦するミツルが、本編で描かれていることになる。
まさかとは思うが、あの細身のミツルがダイエットなんていうわけもない。
(さすがに偏見だが、一定の栄養を取らない事は筋力の低下にも繋がる為、アクロバットを身につけているだけこの可能性は除外しておきたい。というか、既に細身でダイエットを意識する人がアクロバットを身につけるというのは違和感がある……気がする)
すると、必然的に健康志向という可能性が挙げられるわけだ。
健康志向といえば、体調不良なく生きたいという事でもあるだろうが、1番に思い当たるのは長生きしたいという願望だろう。
極道の世界に身を置きながら長生きしたいというのは……なんとも矛盾した願いである。
まあ、人情の為に毎日御百度参りをしていたらしいミツルは、さぞかし健康なんだろうなと思わざるを得ないが。
ここから弾き出されるのは、極道の道に進まざるを得なかった環境、もしくは金のなさ、恩など……。
しかし、恩というには組長には嫌われているし、慕っている師としてミツルの口から挙げられているのは人情のみ。
恩があったとして人情であるならば、そりゃあふたつ返事でカタギに返るわけである。
勿論、フォーカスが当てられなかっただけで、ミツルがカタギに戻るのだって温いものではなかったとは思うが……。
そして、人情が長生きしたいという話を以前にミツルから聞いていたのだとしたら、カタギになることを勧めるのもうなずける話である。
話は少し戻るが、ミツルはグルテンフリーを行っていた。
そして、ミツルはきちんといろんなものに小麦が使われていることを把握しており、「俺と食えるのは……ベトナム料理のフォーとかがベストっすね!」とグルテンフリーのセオリー案内が出来るだけの知識を身に付けている。
始めて1週間にも関わらず、だ。
それなりに勉強した事が頭に入るタイプで、それを活かす事が出来る人間なのである。
最初からカタギで生きていないのが勿体なさそう。
組内で嫌われてるということは、ミツルには極道は向いてないってことだし……。
そもそも、人情は模範囚として、釈放時期が早まっていたはずである。
所謂仮釈放というやつで、身内に報告がなされていたであろうことは予想出来るが、ミツルもまさかグルテンフリーを始めた途端に人情が帰ってくるとは思わなかっただろう。
予想外のタイミングで帰還した、慕っていた兄貴。
ミツルはいたく感激したはずで、しかし3年ぶりに会った兄貴に別れを告げられる。
「じゃあ、僕は……?」
と、悲しさを顕わにしたミツルは、人情と共に居たいだけだということが汲み取れた。
そんなミツルがふたつ返事で「カタギになりんしゃい」と言った人情の言うことを聞いたのも頷ける。
ミツルにとって人情は絶対的な人で、その人の本気の助言に対して首を横に振るなど有り得なかったのだろう。
それはそうとして、出所祝いなのに自分のグルテンフリーに付き合わせようとする厚かましさは持ち合わせているところ。
嫌われている原因である気もするが、ここから読み取れることはふたつ。
まず、ミツルはグルテンフリーを悪いものだとは思っていない。
健康志向でやっているなら勿論そうだろう。
大好きな人情にも長生きしてほしいミツルは、自分と一緒に健康になろう!くらいにしか思っていなかったのかもしれない。
あまり食にこだわりがないことも伺える。
というか、食で得る楽しみより健康を優先させることに躊躇がないし、
他人にもそれを無意識下に強要するあたり、食を制限することに苦痛を覚えない性格なのだろう。
ふたつ目は、人情と食べられるならなんでもいいと思っていること。
ひとつ目で述べた通り食へのこだわりが薄いという話だ。
しかし、人情は刑務所内で同室のメンバー(?)と白米の歌を歌いながら好きなおかずについて語り合う程食が好きな人間である。
ついでに、人情の渡した金で焼肉を食いに行こうとご機嫌だった組長たちも食事が好きそうである。
だというのに、ミツルが食は特に楽しいものではないと思っている以上、食についての気遣いは出てこないのだろう。
そういう人情との相違は、可哀想ながら観察能力のなさに絶望するしかない。
自分が嫌われていることに気が付けないミツルのキャラクター性はこんなところにも生きてしまっている。
以上を通して、ミツルの嫌われている原因は、空気が読めない、相手の感情が自分と同じであると信じて疑わないその性格にあるのではないかと感じた。
遠目に見ていればそこも可愛さだが、たまに近くにこういう人がいると「あぁ……」となりがちなのが実際のところ……。
しかし、そんなミツルが人情と分かれ、カタギに戻ったあと。
再会するのは居酒屋。
食を楽しむ場所である。
そう、ミツルはこの『おしりと御飯』における、主人公を除いて3人だけの、"2回登場するキャラクター"だ。
ミツルは出所後のシーン(2話冒頭)と居酒屋6番のシーンの2回。
もう1人は末澤演じる刑務官と、正門演じる謎の仮面の人である。
刑務官はメタ発言が目立つ舞台の案内役やナレーターのような役割を果たしている。
仮面の人は言わずもがなであり、人情を夢から覚めさせるまた違った意味でのメタ的存在。
そう考えると、二度以上登場し、メタフィクション的存在でない唯一の存在がミツルだということになる。
人情の人間関係で一番濃い関係値にある人がミツルであり、また職場が一緒という運命で結ばれている人でもあるのだ。
その居酒屋6番での再会についてだが、ミツルが先に入っている以上、ミツルがどんなに人情を慕っていたとしても後追いは出来ない。
実践で採用面接を受けていた人情を裏で見ていたであろうミツルは先に把握していたことから舞台上で人情が来たことに驚いたようなリアクションこそ見せなかったが、裏ではまさか人情の方から自分と同じ場所に来るとは思わず驚いたことだろう。
その後に冗談を言って周りを和ませることに成功していたミツルも、カタギに馴染んで少し短所を克服したのかもしれない。
ついでに、「89383……」「89383さん……」「はち……はちきゅう……」と釈放される人情に、同室の4人は別れを悲しむ展開がある。
そして、「受刑者達は、刑期を終えると出所出来ます。でも、我々はずっと檻の中」という刑務官(末澤)のセリフがある。
つまり、模範囚でありながら、人情は仮釈放(刑期満了前に出所)ではなく、刑期を終えての出所だった可能性がある言い回し。
しかし、刑期の7割を超えた刑務者の中で仮釈放率は50~60%と比較的高く、その中で模範囚であった人情が刑期満了まで釈放されなかったというのは些か違和感のある話。
やっぱり極道の関係者というのが効いているのか。
それとも、劇中で明言されている組長の代わりに刑を受けていたということが初めてではなかったのか。
だとしたら、「♪わしの代わりに3年間ムショに入ってた事、そんなに怒ってたんや」とという組長のセリフ(曲?)は少々の違和感であるし、
「こんなとこ、二度と戻ってくるなよ」という刑務官のセリフも、二度目の受刑にしては言い回しが不自然である気がする。
人情は刑期をきちんと檻の中で過ごし切ったのか。
フィクション作品において、矛盾を一気に解決する禁じ手。
夢オチだ。
私たちが見た額面通りの夢オチというわけではなく、
最初から最後までが一貫して全て夢、という意味での夢オチだ。
全てが、人情の夢だとしたら。
人情は本当に極道の人間だったのか。
人情は本当に組長の代わりに受刑していたのか。
同室の人達からあれだけの信頼を得ていて、模範囚であったのか。
疑問が湧いてくる。
あの夢(寝ている時に見る方)が人情の夢(思い描く方)だとしたら、
だとしたら。
本当にミツルは存在したのか。
結局、あの舞台では何も明らかにされていないのである。
なんとなく、最初にも最後にも登場する刑務官はひとつのキーポイントである気はする。
少々論点はずれるが、そもそも受刑者達は最初と最後で人が変わっている。
あの仮面を被った謎の人物に扮した正門の着替え時間の都合で、人数が4人から3人に減っている。
これをヒントと見るのであれば、人情の夢の中では、"受刑者の人数"はさほど重要ではない。
とにかく、自分の出所、自分と離れる事を悲しんでくれる、自分と同じ立場の人間が複数人いる、という事実が大切なのではないかと思う。
だとしたら、出所直後に人情を出迎えるミツルは。
自分が名前も覚えていない舎弟(自分より下の人間)からもこんなにも慕われている、という事実のみが必要だったのではないかとも考えられる。
人情にとっては、受刑者達も、ミツルも。
自分が助けた新人ヘルパーも、すぐに輪の中に溶け込めるというコミュ力の象徴的ホームレス達の集いも。
人情の理想であり、キャラクターそのものに意味はなかったのかもしれない。
なんなら、舎弟を相手に塩対応をして人生を左右する助言をする先輩像というのも、人情が考える理想の自分自身であり、それすらも夢だったのかもしれない。
ただ、そんなミツルに、私は焦がれていたいと思う。
彼は今、人情からカタギになる事を勧められ、あの居酒屋で人情の先輩となり。
その後どんな人生を歩んでいるだろうか。
夢だったにせよ、現実だったにせよ、過去と今の答えはきっと、人情しか知らない。
私は今も、人情が名前も覚えていなかったミツルの可能性に、恋をしていたいと思うのだ。
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