100年先まで繋いでいく 私たちの使命 ~泉神社 大塚 祐慶 宮司 ~ Vol.3
代々、宮司として奉職している大塚家。その24代目を務める宮司 大塚 祐慶 氏に、宮司としての「想い」と「これから」について伺いました。
vol.1はこちらから ↓
Vol.3 「自分のための」のその先に見えるもの
宮司の「大塚 祐慶※」には、苗字も名前も、初めて目にする字が使われていた。
(※塚は豕に﹅、祐は示部)
代々、名前に”祐”の字を使ってきたが、お祖父さまの代で一度途絶え、お父さまが息子の名前で復活させたという。
「この”祐”という漢字は、代々神様の助けがある字と言われています。慶は喜びなので、そういった思いを込めて、父が付けてくれました。
私の息子にも”祐”を付けています。名前には先祖代々の想いが詰まっているんです。でも、変わった名前なので、お薬袋などの名前も全部ひらがなで出てきます(笑)。」
泉神社は、SNSなどの影響もあり県内外から様々な人が訪れる。
清水が湧き出る泉以外にも、来年の干支でもある“辰”の形をした「泉龍木(せんりゅうぼく)」も人気だ。運が良ければ、西日が泉龍木の目に差し込み、龍の目が光っているように見えるという。
そして、この県北地域が発祥でもある巡拝※「神玉巡り」は、今やこの地域だけでなく、北海道や群馬県など日本各地に広がっている。
(※各地の社寺を訪れて参拝してまわること)
「御朱印が人気だった当時、若手神主で集まった時に、昔あった巡拝を復活させたいという話になりました。巡拝の歴史は古く、平安時代ごろにはあったと言われています。そして、せっかく巡拝するなら、なにかその証しを残せたら良いよねということで生まれたのが「神玉巡り」です。」
「でも、面白いのがね・・・。巡拝の目的は大願成就だから、中には「お金持ちになりたい!」と言って回る方もいらっしゃるのですが、4社目くらいから「あれ?私って本当にお金持ちになりたいんだっけ?」って思うんですって。
というのは、自分の欲だけで生きていて良いのかって思うらしいのです。 それで、巡拝している間に、「ああ、なんだ。こんなに健康で、巡拝できることに感謝すれば良いんだ。」と気付くそうです。そういう神玉巡りの考え方もあるのだなと思いました。
物価が上がり、政治は混乱し、世界では紛争が起きていて混沌としている世の中だから“祈り”という原始的なものが注目されているのだと思います。」
神玉巡りもそうだが、泉神社には「水みくじ」や「厄割り玉」など、参拝者が楽しみながら自分と向き合い、祈ることができる仕掛けもある。
アイデア豊富な大塚宮司に、その源を聞いてみた。
「父は本が好きで、色々なアイデアがあった方なので、やっぱりその影響もあると思います。私も本が好きですし。
神社は、10年20年ではなく、50年100年その先へ繋いでいかなくてはなりません。だから、そのためにできることを考えていかないとね。」
ゆくゆくは、この森の中にカフェを作りたいという大塚宮司。
神社にカフェ!?と、これまた驚きのアイデアだが、そこにはこんな思いがあるという。
「『自分たちのしていることって、何のため?』と考えた時、最初は自分の為かもしれません。でも、その先って何だろうと考えた時に、『地域のため』とか、そういったところに繋がってくると思います。
私が来た当時、若い人が増えると地域が元気になるから良いよねと言っていただきました。神社が元気になって、地域が元気になる。それが市町を超えて全国に広がっていけば・・・。
日立市は、全国的にも人口減少率がトップクラスで、実際に家を建てる際に行う地鎮祭の数も減ってきています。
でも、神社が持つ横のコミュニティの力を使って、地域を盛り上げていきたい。県内外から人が呼べるようにしたいですね。」
森の中に作るカフェでも、色々な仕掛けを作りたいと語る大塚宮司。
父親の背中を追いかけ、泉神社の宮司として仕える祐慶氏から見える景色は、お父さまの目指した景色と重なるかもしれない・・・そんな風に思えた取材だった。