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謝罪はどこまで必要か?



サイコパスに対して愚直になり謝って好かれようとする意味を考えたんだが、やっぱり全くわからん。サイコパスに好かれたら自分もサイコパスだと思われるようになる。それにサイコパスは一回怒ったら破壊が終わるまでネガキャンし続ける生き物。相手の何かが4ぬまでいじめを辞めない奴らなんだよ。

折り合いをつけるというのが、相手が単純に勘違いしているだけのケースだったら全然分かる。バ⚪︎なフリしてた方がいい(話が早い)事もあるし、言わない優しさを貫く事もできる事もある。

でも意図的に相手が自分に対して悪意を持って関わっていたら?意図的に悪いものを悪いと言うのを烏滸がましいとかよくわからん謙虚さを抱えた結果無法地帯にしてしまい、その中の人間が好き放題してる連中と何の折り合いが付く?

付かない折り合いもある。それに、そういうものが幅を利かせてる界隈で建設的に仕事が出来るはずが無い。建設的に出来ない仕事しか周りに無いのであれば、身内同士で共食いしながら奪い合うしか無い。もうそうするとそもそも自分がサイコパスにならなきゃいけない…地獄やん。

だったら、一個一個の収入は薄いけど何個か仕事を持って進めるのが一番得策なんじゃないの?って私は思うんだよね。

何かしらのネームバリューや得やラクを考えて手を染める奴は後をたたないけど、長い目で見て破滅したった人ばっか見てた私からしたら、わざわざ悪落ちする意味はないなと思う。アホがやる事。無視を決め込むに限る。

易々と下げる頭に価値は無い。だから、相手を決めて謝罪するのがやっぱり得策だと思う。サイコパス相手に謝罪なんかしたらついて回るものは果てしなく自己犠牲という名の尻拭いだけ。

昨今、謝る人こそ正義みたいな価値観が根強いけど、それはアスペとか自己愛に対して言ってるのであって、そうでない人なのであればそこを見誤らない方がいい。あとLIEのT8である私だって謝る時は謝ります。めちゃくちゃ。(人の靴を舐めた事もある)(絶対に真似するな)(これは絶対に目指すな)


話を本質に転換しよう。


奴隷根性について。


奴隷として貢献する歴で人の価値観を決めるんだとしたら多分私はある界隈では最上級だと思う。そこでなぜ報われなかったのかというと、そんなもん関係なかったからだと思う。奴隷根性はやっぱりダメだと思う。宙ぶらりんになる位ならまだ何も始まってない方がマシ。

→ 例その① 毒親の期待に応えようとして4にかけた

例えばだけど、私はプレゼントに100均を選ばれて喜ぶ女ではない。量を増やしたところで邪魔なだけだし、褒められる時に使ってほしいものではない。誕生日会します!って言ってサイゼでわーわーガヤガヤ祝われたら店員も迷惑だし私も観察者羞恥で怒りが止まらん。ぞんざいに扱う位なら触るな。

→ 例その② 配慮の無い誕生日会

それから、酷いいじめに遭ったキャバで私が三行半突きつけて飛んだ後整形したら、「戻ってきて欲しい」って言われた事があったんだけど、(当時売り上げ安定3位)、中指立てて突き返したら1ヶ月後店が潰れていたという事もあった。こんな分かり易い因果応報もある。私はそんなにバカではない。

→ 例その③ 整形した後のクソ店の未練

このように、こういうものに応えて宙ぶらりんになると、"小回り"という名の自由が効かなくなって自分の好きな事が出来なくなりピエロをせざるを得なくなる。

つまり、嬉しくないのに、迷惑なのに、嬉しいフリを具体的にするには、身振り手振り表情管理の演技だけでは足りないって話。こんなものにそんなもんは要らん。茶番でしかない。暇つぶしするには金の無駄遣いすぎて賢い人にはニーズが無い。

なら私は愚直にドカタ貫く。その方が建設的だ。そう思う。

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