あらかねの器から見る、藤原肇そういうとこやぞポイント

(シンデレラでの)担当のソロが(やっと)出ました!!!!
やった~~~~~~~~~~~~~!!!!!恩赦!!!!!!

ということで、自分のことをアイドルのプロデューサーだと思い込んでいる精神異常者達。
その中でも、藤原肇に入れ込んでいる精神異常者たちの間では、歌詞が藤原肇だとキャッキャと喜んでいるのですが、同じ精神異常者でも伝わらない部分もあろうと思い、一筆取りました。
ただ、漫画でもなく文章でしかも長文なので、たぶん藤原肇担当Pしか読まないので、 コンセプト が 崩壊 する !

こんだけ精神異常者連呼したら、多分心がピュアな方はもう嫌になったと思うので自由にやっていくぞ。
3000字くらいあるぞ。

・シンデレラのソロ曲は実質キャラソン
 キャラソンじゃなければなんやねん、そう思われるかもしれませんが、あくまでもアイドルとして活動している彼女らのソロ曲なので彼女ら個人を映してなくても本当は別にいいはずなんですよね。
 ただシンデレラのキャラ数が多く個性が重要視される、誰もがシンデレラな世界ではソロというとその個人と密接に関わるのでしょう。
 彼女の個性というとまずは陶芸でしょうか、次に趣味の釣り、ロマンチストな面もあり、大人びているけれど年齢相応の健啖家であり少女らしさもある。
 陶芸…備前焼については、私なぞよりもよっぽど詳しい本職の皆様がいらっしゃいますから、お譲りしましょう。
 そもそも界隈外までは広がっていないでしょうが、ポツポツと備前焼関係者で藤原肇とそのP集団を認知する方々が出てきており、そのことが凄いなぁなんて最近は思います。

 さて、余韻もなく歌詞の内容を要約すると、(森先生すいません)
 「真剣に陶芸をやっていたが、伸び悩んだ。一度離れ新しい世界へ踏み込んだことで、真剣に陶芸に打ち込んでいた日々に培ったことこそが自分自身の強みと知って、この強みをもって私は歌おう。」
 めっちゃキャラソンだ!!!!!!!ということでこういう娘です。ソロCDはそのアイドルの名刺とはよく言ったものです。
 悩んだ日々があって、そこから一度離れ、それらは捨て去るのではなく見つめなおすことで力となる。
 新しい夢ときらめきを抱いて、アイドルとして歌い続ける。これまでとこれから、その両方がある今の藤原肇の歌ですね。
 そう、そんなことは作詞作曲両先生のスーパーパワーで曲を聴いて歌詞を読めば誰もが十分に理解できるので、私は違う見方をします。

・そういうとこだぞ藤原肇
 そう、ちょっと穿ったところから藤原肇を見ていきたいのだ。
 藤原肇を表現するとすれば、真面目で優しいいい娘でしょう。その通りです。
 もっと細かく上がてみてもいいでしょう、真面目で、優しい、少しロマンチストで、趣味が陶芸と釣りといった古風な、おじいちゃん子で、面倒見がよく、年上に見られがちだけれど、年相応にはしゃぐこともあり、実は健啖家で、天然ボケの気もあり、趣味に一直線な、美人系少女。いやまったくその通りです。
 私はそんな彼女に自意識過剰と傲慢さを見ています。
 滅茶苦茶ここまで付き合ってくれていた奇異な肇Pが怒って退席する音が聞こえる。傲慢はお前だろうと言い残して、なんて鮮やかな被害妄想だろうか、いや全くその通りです。が、続けます。

 モバマスでの藤原肇のセリフを少し引用します。
  N+「勝つイメージはできてます」
  夜桜小町+「何にも負けない…一輪の花に…」
  九天の玄女「この手も…天に届きますか?」
  クワイエット・ズィール「資料館に並んだ器はどれも見事で…私の憧れ。そして、目標です」
  光彩の芸術+「紛い物ではありませんよ?」
  楽園の佳景+「美しい海と空…。ですが、主役は私ですよ」

 思ったよりも気が強くないでしょうか?それに、自分との比較対象が”資料館に並ぶレベル””海や空””天”ってほらあんまりにも強い。
 人間ですらない概念に対して対抗できると信じるその心持があんまりにも強くて私は藤原肇が恐ろしい。
 攻撃は最大の防御、のようなものですが努力を信じるものというのは、本来攻撃的なものなのです、努力をすれば私は届く、という確信がある。
 あらかねの器でも印象的なCメロディで大地、山、空、風、川、それらの営みを歌として表現した後に、曲内で唯一具体的な望みとして『私の歌をみんなに届けたい』と歌います。
 誰とかじゃなく、自然としての営みに並ぼうとするんですよこの女。そして努力によってそれが叶うと信じている。
 この何者も恐れない純真無垢な暴力を守りたいと思ってしまったから、僕は精神異常者なんだなぁ。

 そして実はここに言及したかったのですが、最後の部分
 『遠きかけがえない人に そして友とあなたに 遥かな誰かへと 歌う』
 遠きかけがえない人はぶっちゃけおじいちゃんでしょう、そして友、あなたはPでもいいですし、この曲を聴いているあなたという意味でしょう。
 ポイントは「遥かな誰かへ」です。CDというものである以上、顔の見えない視聴者は存在しますが、それは「あなた」に十分入っている。
 では遥かな誰かとは誰だろう。私はそこにもひっそりと備前焼マインドが隠れているように思います。
 ”彼女がいなくなった後にもこの歌と歌声は残って、誰かが聞くという意識がある。”のではないかと思うのです。
 数百数千年の時を経ても残る陶器のように、今の彼女が今の人々に歌うだけでなく、遥かな先に残ると信じている。
 そんなアイドルがいますか????自分のために、ファンのために、お客さんのために、仲間のために、支えてくれる人の為に…そんな気持ちと同列で、自分が消えても歌が残ることを信じて、決して出会わない遥かな誰かへ歌う。
 人を通り越した神の視点で自分と世界を見ているんですよこの娘、その上で努力を怠らない。かぁーーーーー勝てない。

・結局藤原肇ってどんなアイドルなの?
 わかんねぇや!!!
 以下に、第五回、六回で死に物狂いで選挙ランしながらポエムった当時の印象を参照してみます。

全然違うこと言ってますねぇ!

 でもこの印象も確かにあったのです。Pが想像して練って、せっせと窯に並べて薪を用意して、そして火をくべてくれたのはCVを担当してくれている鈴木みのりさんだなと改めて思います。
 ボイスが全てではないですし、ボイスがない時代の歩みがあって今があるわけですが、一つの方向性として窯に火を入れてくれた。やっと器として歩みだした。そう感じています。
 しかしまだ完成していません。あらかねの器自体が、今を歌い未来を歩む歌であるのと同じように、今まさに窯には火をくべている最中です。
 多分備前焼ガチ勢の皆さん的にはそんな修羅場なんですか…?ってなる感じの、窯焚き二日目とかそんな感じです。
 火が消えないように薪をくべ、そしてそこで色がついていきます。灰かぶりの景色が良きものになるかは、プロの作家でも完成しないと分からない。
 今まさに燃えているその火を絶やさぬようにしていきたいですね。

 最後になりましたが、幾度となく思ってきてそして思っていくのでしょうが、CVを担当してくださっている鈴木みのりさん、今回ソロの作詞作曲に関わった両先生や関係者各位に、心から感謝を伝えて、筆を置こうと思う。
 今、ソロが出た2020年春は世界的な感染症の流行で前代未聞の状況を迎えています。文化というのは根本が余裕のある人間の生活を支えるものであり、絵画、舞台、音楽などの各種文化は今空前の危機に際しています。
 そんな中でこの曲に関わった皆様こそがその文化というものを生業にして、不安の渦の中見えない明日に生きていらっしゃるのでしょう。文化に生きて文化に死にたいと、常々思っている私ですが、文化の危機にあるこの時世だからこそ、その文化に励まされそして生かされています。
 願わくば、この一曲を思い出してあの時は大変だったと、苦笑交じりでも笑える日々が到来しますよう。祈りそして心から感謝申し上げます。
 つまりはメッチャ好きってことです!!!

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