推しが出てくる夢について

毎年そんなにたいした誕生日を送ってないからか、歳をとるとなんだか虚しい気持ちになる。いや、たいしたことなくはないけど、毎年変わりばえしないので、少しマンネリ化してるのかもしれない。でもきっと幸せなんだろうと思う。感謝すべきだ。

ここで、こんな記念すべき日 ( ? ) に素敵な夢を見たことをご報告したい。推しが夢に出てきたのだ。なんという

こんな幸せなことが、あるだろうか、いやあっていいんだろうか、、、!!

生きててよかった、、、今まで、、、、マジで月並みな表現だけど、、、、

どんな夢か説明しよう。

まず、どこにいたかは残念ながらわからない。何時だったかもわからないし、洋服も何着てたかわからない。もしかしたら裸だったかもしれない ( 大問題、ただの露出狂 )。

まあそれは嘘なんだけど、でも服は白っぽかったみたい、あたしも推しも。なんでだろう、「ドレスコードは白」って決められてたのかな。あり得ないけど。アメリカのパーティーかよ。

今、なんとなく思い出して思うけど、場所は空港だったかもしれない。天井は驚くほど高くて、大きい窓から青い空が見えて、光が差し込んでいた。( 小説感 ) でもそこになぜいたのかもわからない。あたし、空港に行く予定はないんだけどな。もしかして、推しがお仕事で、それかプライベートで、飛行機に乗ってどこかに行くことの暗示なのかもしれない。しかしそんなこと、もちろん、一般市民のあたしが知る由もないのだが。

推しがあたしのことを知っているわけないが、あたしと推しはなぜか "イイ雰囲気" だった。あたしがいうのもあれだが、あれは完全に両想いなんだけど、今の関係を崩したくなく、お互い一歩踏み出せないという、この感じ。こんなのあり得ない。こんなに自分好みの展開、現実な訳ない、、、今となってはそう思えるけど、夢の中にいた時はまだそれが現実だと思っていた。覚めたときに「ああ、、、( さげぽよ )」ってなるワケ。

夢の中ってさ、残酷だよね。雲の上で寝転んでアイスクリームを食べてたのに、目覚めたらいきなり地面に真っ逆さま、小学校の体育のときに使う、器械体操のマットに叩き付けられる感じ。

夢の中は、実際には残酷じゃないけど、夢から現実に戻るときに夢と現実のリアルなギャップが残酷なんだよね。そして失望する。自分がその夢に生きていないことに。愛のない結婚をして、神父に教会の前で「…誓いますか?」と聞かれて「…誓います」って嘘ついたような気分。

でもあたしは推しへの愛は生涯、誓います。いつまでも。推しを追いかけない人生は、あまりにも淡白で何もなくて、生きていくには辛すぎるから。








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