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これは「最初で最後」の話

 こんな投稿は、最初で最後にしたいと思う。深夜2時にこれを投稿しているけど、人によっては朝7時に読んでいたりするのかと思うと、身の毛もよだつ。ひええ、恐ろしい。noteさん、深夜2時から3時までしか閲覧できない、みたいな機能をつくってはくれませんか…。まあ、無理か。

 2023年7月24日、アルバイト先の人たちと大阪市北区で開催されていた天神祭に行った。日本三大祭りの一つとされているこのお祭り。すごい人だった。いつも歩いている商店街が人で溢れていた。こんなに進めないのか…とイライラしてもおかしくなのに、それさえ楽しんでいる人々。このコロナ禍のフラストレーションが祭りという場で静かに爆発している。そう思えてきて、とても幸せな夕方。そんな最中、ふと言われた言葉。

「いとうくんと天神祭に行くのは最初で最後だね」

 そうか。確かにそうだ。来年の今頃、私は社会人になっていて大阪にいない可能性が高い。この人たちも新しい生活が始まる。少なくとも、来年はこの人たちと天神祭に行く未来は見えないし、再来年以降のことなんてわからないけど、この直観は当たる気がする。そう思うと、すごい切なくなって、この一瞬を大切にしなきゃって思った。

 おしまい



 とか、綺麗にまとめて終わりたくない。

「最初で最後」って、なんなんだいったい。

 「こんな話、最初で最後にしたい」なんて言われたら、自分の悪いところを指摘されるのかと覚悟して、構えてしまう。だいたいはその内容を察してしまい、「それは言わないで…」と願った0.5秒後には無慈悲にも、相手の口から発射される。そして、相手の口撃は止まることを知らず、気づけば血だらけ。しかも、あんな謙虚な口撃予告をされたせいで、こっちも反撃しようにもできない。グッとこらえきれず、瀕死状態に陥ることも珍しくはない。

しかしながら、

 「この恋は、最初で最後にしたいんだ」なんて言われたら、話は大きく変わってしまう。頭の中で、銀杏BOYZの "BABY BABY" が流れ出す。ボーカル峯田の歌声が最大に愛おしく感じる。初恋の相手と結婚したんです、みたいな話は珍しいに決まっているのに、あまりにもロマンチックすぎて、よく耳にする表現になってしまったのが少しむかつく。けど、いざ好きな人にそんなこと言われたら、デレデレする未来が見えてきて、そんな自分にも少しむかつく。

 ほろ酔いの勢いで、「最初で最後」という言葉にダル絡みをしてしまった。ごめんな。こんな絡み方しちゃったからさ、「あのサークルには、やばい奴いるからやめておいた方がいい #春から ○○」とか、Twitter…おっと"X”に書き込むだろ?どうせ書き込むならさ、もうちょっとだけ付き合ってくれ、あと少しだけ。もちろんここの食事代はこっちが持つからさ。

 ただ、たまに「あれは、最初で最後だったのか…」って思ってしまう瞬間に襲われる。あんなに楽しかった時間がまた、当たり前に来ると思っていたのに、知らないところでタイムリミットが来ていたりする。「また行こうね」の言葉は脆弱なくせに、その脆弱性を全く感じさせないくらいの期待を含んでしまう。シリーズ1作目が最高で、2作目も観ようと思っていた映画が、サブスクでの配信が終わってて「今後の配信予定はありません」じゃねえんだよ。言ってほしかったな。この日から「もう遊べないんだよ」って。

 こんな暗くて、辛気臭い話は最初で最後にしたいなあ。

 これは「最初で最後」の話。

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