折口信夫「死者の書」を読む 〜IAMAS2022に寄せて
彼の人の眠りは、徐かに覚めて行った。まっ黒い夜の中に、更に冷え圧するものの澱んでいるなかに、目のあいて来るのを、覚えたのである。 したしたした。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくような暗闇の中で、おのずと睫と睫とが離れて来る。膝が、肱が、徐ろに埋れていた感覚をとり戻して来るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこわばった筋が、僅かな響きを立てて、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけているのだ。 そうして、なお深い闇。ぽっちりと目をあいて見廻す瞳に、まず圧しかかる黒い巌の天井を意識した。次いで、氷になった岩牀。両脇に垂れさがる荒石の壁。したしたと、岩伝う雫の音。時がたった――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで来る。長い眠りであった。けれども亦、浅い夢ばかりを見続けて居た気がする。うつらうつら思っていた考えが、現実に繫って、ありありと、目に沁みついているようである。ああ耳面刀自。甦った語が、彼の人の記憶を、更に弾力あるものに、響き返した。 (「死者の書」青磁社版、昭和18年)
折口信夫の、特に小説(のようなもの、かろうじて最後まで書かれたのはこの「死者の書」のみであった)は苦手だった。古代の語彙の多様化や圧倒的な民俗学の知識や中世文学への接近はともかく、文中に蝶の鱗粉のようにほのかにばら撒かれるその少しばかりの「ロマンチシズムの甘さ」が厭だったのかもしれない。たとえば泉鏡花や江戸川乱歩にはそうした甘さがない。
ある意味、律儀にまっすぐに幻想の世界へと読者の身を誘惑しさってくれる。たとえば有名な『天守物語』では、夫人がどこからか雲に乗って帰ってくるところから話が始まる。
夫人 (その姿に舞い縋る蝶々の三つ二つを、蓑を開いて片袖に受く)出迎えかい、御苦労だね。(蝶に云う。)
——お帰り遊ばせ、——お帰り遊ばせ——侍女等、口々に言迎う。—— 夫人 時々、ふいと気まかせに、野分のような出歩行きを、……
ハタと竹笠を落す。女郎花、これを受け取る。貴女の面、凄きばかり白く長けたり。
露も散らさぬお前たち、花の姿に気の毒だね。(下りかかりて壇に弱腰、廊下に裳。)
薄 勿体ないことを御意遊ばす。——まあ、お前様、あんなものを召しまして。
夫人 似合ったかい。
薄 なおその上に、御前様、お痩せ遊ばしておがまれます。柳よりもお優しい、すらすらと雨の刈萱を、お被け遊ばしたようにござります。
夫人 嘘ばっかり。小山田の、案山子に借りて来たのだものを。
薄 いいえ、それでも貴女がめしますと、玉、白銀、揺の糸の、鎧のようにもおがまれます。
夫人 賞められてちっと重くなった。(蓑を脱ぐ)取っておくれ。
撫子、立ち、うけて欄干にひらりと掛く。
蝶の数、その蓑に翼を憩う。……夫人、獅子頭に会釈しつつ、座に、褥に着く。脇息。
侍女たちかしずく。
少し草臥れましたよ。……お亀様はまだお見えではなかったろうね。
薄 はい、お姫様は、やがてお入りでござりましょう。それにつけましても、お前様おかえりを、お待ち申上げました。――そしてまあ、いずれへお越し遊ばしました。
夫人 夜叉ヶ池まで参ったよ。
薄 おお、越前国大野郡、人跡絶えました山奥の。
萩 あの、夜叉ヶ池まで。
桔梗 お遊びに。
夫人 まあ、遊びと言えば遊びだけれども、大池のぬしのお雪様に、ちっと……頼みたい事があって。
世俗と典雅、優美と下卑、たおやかと冷たさなどの二項対立をいとも簡単に文章の中で消化し昇華してしまうその鮮やかさ。そして澁澤龍彦が「垂直的関係」と断じたように、両者の世界をいわば多層的に構成することで、読者の身を眩暈のするような不安定な位置に置くことを潔しとしない強靭さがこのテキストにはある。
一方で折口は(もちろん小説家ではないから当然ではあるが)、そうした強靭さとは無縁の、どちらかと言えば稚戯的な脆弱さが文章からうかがわれる。
なぜだろうか。
赤坂真理の「死者の書」に関するテキスト(別冊NHK100分de名著 『「日本人」とは何者か?』 ) を読んでいて、なるほどと膝を打ったのだ。
若くして非業の死を遂げた皇子の生涯最後の恋と、高貴な少女の初めての恋──これはそんな二つの恋が時空を越えて出会い、切なくすれ違うというラブロマンスです。この世に執心を残した「死者」のさまよえる魂を、姫の織った曼陀羅が最終的に成仏させるのですが、ここでは恋愛と鎮魂がワンセットになって、姫の「死者」への恋が、その霊を慰めることと混然一体となります。 こんな恋愛小説は、たぶん世界にも例がないのではないでしょうか──。
これは決して「死者の書」を現代風に、つまり現代人の得意とする軽薄でお手軽な読み物として読むことを意味しない。「高貴な少女の初めての恋」とか「ラブロマンス」といった俗っぽい表現がそうしたニュアンスを喚起するのだろうが、赤坂の文章をよく読んでいけば、そうした俗っぽさを神話的な世界へと変容させる力をこの「死者の書」が表明していることがわかるのだ。澁澤龍彦の「垂直性」に対して、折口信夫のこうした筆法を「水平性」あるいは「越境性」と呼んでもいいのかもしれない。
物語は以下のようにまとめられる(赤坂の要約を転用する)。
物語の時代は古代、八世紀半ばの日本。歴史的には奈良時代にあたります。主人公は「中将姫」こと、「藤原南家の郎女」という美しい少女。この少女があるとき発心して、大和(現在の奈良県)と河内(現在の大阪府)の境にある二上山の麓の当麻寺(作中の当時は万法蔵院)に入り、阿弥陀如来が描かれた曼陀羅を蓮糸で一気に織り上げたという「中将姫」伝説が、物語の基本的な骨格になっています。このとき織られたと伝わる曼陀羅は、国宝の「當麻曼荼羅」として現存します。この中将姫が誰のたましいを慰めようとしたか、という発想が、折口独自のイマジネーションであり、この作品を、美しくスケールの大きなものにしています。(中略)「中将姫」伝説に加えてもうひとつ、『死者の書』には、大津皇子の悲劇というモチーフが出てきます。この二つを重ねたところが、先に述べた折口独自のイマジネーション。これは七世紀後半、奈良以前の飛鳥時代の出来事です。天武天皇の皇子である大津皇子は、父天武帝の死後、王位継承にからんで謀反の罪に問われ刑死し、いったん葬られたあと、二上山の頂上近くに改葬されたといいます。この大津皇子という「死者」が、物語の脇役になります。作中では「滋賀津彦」という名前になっています。『死者の書』というタイトルから、この「死者」が主人公だと勘違いされるときもあるのですが、そうではなく、あくまでも姫の方が主人公です。
耳面刀自は、処刑される大津皇子が一目惚れをした高貴な女性である。この女性への想いが、中将姫(藤原南家の郎女)へとシフトし、また大津皇子は作品の中では滋賀津彦と名前を変えているが、この世に恨みを残し無念の死を遂げた男であることに変わりはない。そしてまた彼は記紀神話のころ、「天の神々に弓を引いた罪ある神」である「天若日子」と重ねられる。それらのキャラクターの重層性は郎女には気づかれないが、彼女にとっては二上山の雄岳と雌岳の峰のあいだに「ありありと荘厳な人の俤」として視覚化される。彼女はこの俤に恋をし、近づきたい、一体化したいというエロティックな思いを持つのである。折口信夫もこの「死者の書」の創作ノートとも言える「山越しの阿弥陀像の画因」という文章において「私どもの物語も、謂わば、一つの山越しの弥陀をめぐる小説、といってもよい作物なのである」と書かれ、また「私どもの書いた物語にも、彼岸中日の入り日を拝んで居た郎女が、何時か自ら遠旅におびかれ出る形が出て居るのに気づいて、思いがけぬ事の驚きを、此のごろ新にしたところである」とも記している。
そして二上山の麓にある當麻寺(万法蔵院、當麻寺の前身)でとめおかれている郎女は死者の「跫音」を聴くのである;
物の音。——つた つたと来て、ふうと佇ち止るけはい。耳をすますと、元の寂かな夜に、——激ち降る谷のとよみ。
つた つた つた。
又、ひたと止む。
この狭い廬の中を、何時まで歩く、跫音だろう。
つた。
郎女は刹那、思い出して帳台の中で、身を固くした。次にわじわじと戦きが出て来た。
天若御子——。
ようべ、当麻語部嫗の聞した物語り。ああ其お方の、来て窺う夜なのか。
——青馬の 耳面刀自。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
処女子の 一人
一人だに わが配偶に来よ
まことに畏しいと言うことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、圧えられるような畏さを知った。あああの歌が、胸に生き蘇って来る。忘れたい歌の文句が、はっきりと意味を持って、姫の唱えぬ口の詞から、胸にとおって響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
独特の擬態語によって構成されているこの作品は、もともと擬態語のもつ視覚と聴覚と触覚を融合させたような、しかもこの世の音ではない、メタ感覚的な言語となって読者に迫るのである(このことから、折口信夫が明治43年に國學院大学に提出した卒業論文の題目が「言語情調論」であることを想起してもいいだろう)。
そしてこの「跫音」と二子山から拝まれる巨大な方の「俤」が一致して、彼女は蓮の糸を使って機織りを始める。半身が裸体である如来様は、「さぞかし寒かろう」と考えたからだ。機織りの音は「はた はた ちょう ちょう」から「はた はた ゆら ゆら」に変わってゆく。そうして一片の巨大な布ができあがる。郎女はそれに色をつけて「俤」の姿を描く(これが世にいう「當麻曼荼羅」である)。そうして郎女は誰にも知られることなく、ひとり微笑んで、その場を消え去るのである。
郎女が、筆をおいて、にこやかな笑いを、円く跪坐る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立ち去った刹那、心づく者は一人もなかったのである。まして、戸口に消える際に、ふりかえった姫の輝くような頬のうえに、細く伝うもののあったのを知る者の、ある訣はなかった。
姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様は、そのまま曼陀羅の相を具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。併し、残された刀自・若人たちの、うち瞻る画面には、見る見る、数千地涌の菩薩の姿が、浮き出て来た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐいかも知れぬ。
そうして図らずも、曼荼羅は完成し、二人の恋(というか同一化の欲望)は成就し、それが成就することはすなわち郎女=中将姫の往生を意味するのだ。彼女自身が織った布のように、横方向に幾筋にも織り込まれたこの物語は、texture(織物)という名を孕んだtextなのである。
「そうすることが亦、何とも知れぬかの昔の人の夢を私に見せた古い故人の為の罪障消滅の営みにもあたり、供養にもなるという様な気がしていたのである」と折口は「山越しの阿弥陀像の画因」で書いている。
その「古い故人」について富岡多恵子は、18歳で大阪から上京した時に同居した藤無染という9歳年上の「恋人」ではないかと推測している(「釋迢空ノート」)。そして30歳で夭折したこの恋人への30年後の「供養」として書かれたのがこの「死者の書」であったのではないかという仮説を立てている。
つまり「死者の書」とは、中将姫=折口の「恋愛=鎮魂」の物語であったのではないかというのである。
ことの真偽は別としても、折口信夫のそうした「生と性」が作品に及ぼした影響を考えることは、決してナンセンスなことではないのかもしれない。
この「死者の書」において、折口信夫は何層もの越境をしている。
エリアーデはシャマニズムの形態を「脱魂型」と「憑依型」に分けた。要は魂なるものが、あちらに行くか、こちらに来るかというベクトルの違いだ。
「死者の書」においては、そこにシャマニズム的色彩で彩られているように見えるが、さてエリアーデのような「分類」が可能かどうかはわからない。
この小説は、エリアーデの分類そのものをも越境してしまっている。
再度赤坂の言葉を引用する;
このトランスフォーメーション(変身、変容)には、折口自身の「トランス性」が存分に発揮されています。つまり「境を越える」(trans-)、この場合なら性の境を超えてしまうといういうことです。さらにそこには、シャーマンの入神状態のような変性意識を表す別の「トランス」(trans)も重なっています。異界の神霊を受ける器すなわちヨリシロ(依代)となって、死者と生者であったり、モノと人であったりという境を越えることができる——そんなトランス感覚が、郎女=折口にはあります。
男と女、人とモノ、自然と人工、そして生と死、さらには憑依と脱魂、そういったいくつもの対立項を、折口は郎女の行動や思いによって易々とトランスしてしまう。もしかして、民俗学と文学という対立(?)もまた超えてしまうのではないだろうか。それは泉鏡花にもできなかったことなのである。
われわれのプロジェクトの名前は Life Ethnography Project という。その名称からしてライフ(生と性、生活と人生など)と民族文化・民俗文化の相対性について追求するプロジェクトであることが予感されるが、本プロジェクトは、フーコーの「生の政治」(bio-politics)の地平から「性の歴史」を経由して、近代において生=性がいかに扱われてきたかを考察するものである。
その強力な事例として「死者の書」が読まれたのである。
それにしても、あいかわらず「死者の書」は難解な本であり、苦手な本だ。
折口信夫の生=性に対する考え方にどうしても諒解のいかないことがあるからでもあるだろう。
同意、というのとは違うし、賛同ではない。
戦時中に出版されたこの著作のなかで、「天に弓引く者たち」の系譜が語られ、またそんな神々がホモセクシュアルな存在として描かれているということは驚くべきことであり、この「二重の罪」をいかにして神話的=小説的に折口は越境したのか…。
その問いに答える準備はまだできていない。
*写真は當麻寺中之坊香藕園(こうぐうえん)の折口信夫の歌碑。明治38年の中学の頃、ここに滞在し、20年後に訪れて詠んだ歌。「ねりくやう すぎてしづまる 寺のには はたとせまへを かくしつゝゐし」と読める。ねりくよう(練供養)すなわち「聖衆来迎練供養会式」は、観音菩薩、勢至菩薩ら二十五菩薩が、現世に里帰りした中将姫を迎えて、阿弥陀さまの待つ極楽へ導いていく様子を再現した儀式のこと。再訪した折口の脳裏にはすでに「死者の書」の構想ができていたのであろうか(2022年2月17日拝観)。
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