西田幾多郎の生命哲学②
「我々の身体は歴史的身体である、手を有つのみならず、言語を有つ。我々が歴史的身体的に働くということは、自己が歴史的世界の中に没入することであるが、而もそれが表現的世界の自己限定たるかぎり、我々が行為する、働くと云い得るのである……我々の身体的自己は歴史的世界に於ての創造的要素として、歴史的生命は我々の身体を通じて自己自身を実現するのである」(847)身体、道具、言語そして歴史。これまでの西田では論じられなかったこうした諸テーマが、ここで乱れ飛ぶように記述の表面に現れてくる。しかしそれはあくまでも、西田の議論が、内包と外延の交錯を、つまりは非合理的な力と、合理的地平の交錯を展開していくからなのである。身体や歴史という諸テーマは、そうした意味で、生の直接性に対する、ある種の「媒介者」としての役割をひきうけるものである。「個物」が位置づけられる境界の思考において、そうした境界に固有の「媒介者」であるものとして、これらのテーマは考察されなければならないのである。(檜垣立哉『 西田幾多郎の生命哲学』)
交錯、あるいは交叉、メルロ=ポンティなら「キアズム」と呼んだであろう、存在のパッチワーク。レヴィ=ストロースなら「ブリコラージュ」と言ったかもしれない、諸テーマの混合ぶり。西田にはそれが一つひとつ明確に見えていたのであろう。身体が歴史的に動く、ということは歴史的な「場所」において身体が牽引されること。だから(西田を嫌っていた小林秀雄なら)歴史が身体的に動くと言ったかもしれない。歴史的身体とは、身体的歴史の別名に他ならないのである。身体のもつ歴史は、そのまま歴史のもつ身体へと外挿され、それは伝統的な刺青であっても、サリドマイド児や水俣病の患者であっても、あるいは天皇という記号であってもいいだろう。身体は常にそれが置かれている場所として歴史と並走している。メディアと言う時、人は放送メディアを思うかもしれないし、メディアアートなるものを想像するかもしれない。だが、ここでははっきりと「メディアは身体である」と表明すべきであろう。メディアが身体であるならば、歴史もまたメディアにならざるを得ず(それはメディア・イベントといった近視眼的な情景とは異なっている)、「身体や歴史という諸テーマは、そうした意味で、生の直接性に対する、ある種の「媒介者」としての役割をひきうけるものである」という指摘は、このことを述べている。
つまり、西田は歴史的身体ないし身体的歴史をメディア的身体と読み替えようとしていたのではないかと推察することができるのである。
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