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読書/禅僧が教える心がラクになる生き方

この本は作者の南直哉さんが長い修行を重ねて学んだ、仏教を軸とした生き方のテクニックが沢山書いてある。題名通り、私の心をラクにしてくれた一冊。

見る人からしたらネガティブな本だと思われるかもしれないけど、違う視点があると気づけば違う景色が見れるってことを教えてくれる。今日は本書から、私が好きな部分をいくつか抜粋。

「生きる意味」は見つけなくていい

「意味のある人生」や「有意義な人生」を送らなければと、肩ひじ張らなくても大丈夫。生きる意味など探さなくても、人は十分幸せに生きていけます。
人は、自分で望んで生まれたわけでもないのに生まれてきて、なんの根拠もない人生を生きていかなければならない。そのやるせなさや悲しさを抱えて生きていくのだと、私に教えてくれたのは釈迦その人でした。
実際、そんなものはなくても生きていけるのです。現に、生きる意味など分からなくても、みんな立派に生きています。

情報の99%はなくていい

「悩みや苦しみをなんとかしたい」と切実に思ったとき、人は情報の選別を始めます。そこから、知恵が生まれ、生きるための世界観が育まれていきます。
まず、世の中に今ある情報の99%はなくていいものです。自分にとって必要な情報はせいぜい1%程度でしょう。抽出された1%を、「知識」と言います。その知識を、自分の問題に組み込んで使えたときに、「知恵」となります。
人が学び始めるのは、自分の悩みや問題を見据えることができ、この状態をなんとかしたいと本気で考えたときです。そのためには、きちんと困ったり、悩んだりしなければならないのです。

「夢」や「希望」がなくても人は生きていける

夢が破れたときに、人は損得勘定から離れ、自分が本当に大切にしたいものは何かを見極めます。夢が破れた時に、初めて見えてくるものがあります。絶望の果てにしか見えない風景があるのです。
私が本当に偉いと思うのは、夢や希望を叶えて生きる人ではありません。夢に破れても生きていく人です。「この夢を叶えたい」という願いが叶わなくても、しぶとく生きていく人です。
むしろ、夢や希望が人生の妨げになるかもしれません。夢も、希望も、実は麻薬のようなものだからです。いつまでも叶わない夢を持ち続けているのは、夢という麻薬が切れたときの禁断症状が怖いからにすぎません。

人脈も友だち、要らない

本来、人が生きていくのに必要な人間関係はごく限られています。多すぎる友だちは新たな悩みやストレスを生み、心を疲れさせるだけです。
「理解」という言葉の意味を正確に言うと、「合意された誤解」です。もし、お互いに理解し合えたと思うのであれば、それは、「誤解で合意した」だけ。実のところは、それぞれ自分の都合で解釈し合っているにすぎません。
友だちをつくろうとしなくても、自分自身のやるべきだと思うことをやっていて、それが本当にやるべきことであれば、必ず人が集まってきます。また、同じようなテーマを持つ人間がそれを嗅ぎ分け、その相手との人間関係が自然にできていきます。

仏教には「一切皆苦(いっさいかいく)」といって、この世のすべては「苦」である、という意味の言葉があるんだそう。
一見ネガティブな印象を受けるけどこの視点から物事を見ると、自分に起こる災難も受け入れられる、心にゆとりを持って対処できる。

しかし、あくまでこれはテクニック。自分に合うものがあれば使っていけばいいし、もっと夢を持って沢山の人に囲まれて生きたい!と思うならそれでいい。生き方はそれぞれだ。

ただこの本は、どうしようもない悩みを抱えた人には強烈な救いになると思う。きっとどこかにいる、そんな人に読んでほしい、何かに気づけるはず。

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