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2024年3月18日[日報]名誉にすがる住民の町(実話)

実家にて闘病生活を送っていた当時気付いたことを、地元の大学で教諭をなさる方と介護サービスの方に私はお話ししています。

地域社会について研究なさる、この大学教諭には仲見世のとある飲み屋のカウンター席で偶然出会っています。早稲田大学教育学部の卒業生と教えてくださりました。現在、お世話になっている介護サービスのコーディネーターによると、私の気付いたことは実家のある町において大変深刻な問題だそうです。

実家は、最寄り駅より徒歩約12分のところにあります。母方の祖父が購入した土地に建てられた一戸建ですが、今は持ち主が変わっています。祖父が購入した当時、周囲には家がなく、当時の写真を見るとまさに荒野の一軒家といった感じです。

母によく聞いた話ですが、雨が降ると住民は長靴をはいて駅まで行き、そこで普通の靴に履き替えて電車に乗ったそうです。その長靴が、改札口前の壁際に並んでいたことも母はよく語っておりました。(この様子は「写真アルバム 町田市の昭和」の中にもあるはずです。)

通院のため駅へ向かう道すがら気付いたことは、その途中に一戸建てに両親と共に暮らす四十代から五十代で未婚、かつ仕事もしていない方が、少なくとも7人もいらっしゃることでした。さらに、明らかに高学歴の方々なのです。

私も、病気によっていっときは仕事をせずにいましたし、現在の症状を患う前には、三級の障がい者手帳を保有していました。

考えようによっては、あの ”事件” に遭うだけでなく、あの老舗店にたどり着かなければ私は彼らのようになっていたのです。

介護サービスのコーディネーターは、あの町のこういった問題は次のようなことが原因だと仰ります。

大学教授や研究者、芸術家といった、言ってみれば “名誉のある” 職に就く方の多い地域であり、そういった方々がその家庭における問題を隠したがる、ということです。

じっさい、私も、自らの症状を、当時パーキンソン病であった父のケースワーカーへ訴えることを妨げられるどころか、大学教授であった父を見舞う教え子たちに玄関先でお会いすることすら、両親に妨げられることが多々ありました。正直なところ、おぞましい光景であったことには間違いありません。

お世話になっているコーディネーターのお話しをうかがうと、ひょっとすると、私が体験したことはまだましな方かもしれません。

いずれにせよ、”助かった”うえに地元自治体の大事な役割に就く私が、こういったことにもきちんと向き合うことは決して避けて通れないことに間違いありません。

年が明けてから、やはり介護サービスのコーディネーターに通院の付き添いをしていただきながら電車に乗車中、気付いたことがありました。二人で今後の話や、私の身の上話、友人の話をしていたときのことです。

周囲の乗客は、明らかに、私、竹内直のことをご存知なのです。

勿論、口には出しませんが、その反応から明かでしょう。仕事をなさるノートパソコンに文字を打ち込む手を止める様子や、スマホを見つめるのをやめる様子は、どう考えても、私の話に耳を傾けようとするものでした。

“役割”に就くことによって、単に、皆から羨望の眼差しで見られることに喜んでばかりはいられないのです。これまでにも、コンビニエンスストアのスタッフの祖国のお母さまの話をしていますが、こういった方の人数は凄まじい数になるはずです。

これまでにも、店主に促されてきましたし、同窓会員も”あの都立町田高校”の出身です。彼らが私を見守る様子からも、こういったことに気付けるに違いありません。

自身の役割だけでなく、そのあり方すら示してくれた母校の仲間にあらためて深く感謝する次第です。

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母校の仲間ならどう考えるだろう、と思いながら記しました。

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