見出し画像

2024年3月13日[日報] 町工場 穂高精工の親方 - 最期のイチゴ

📒 タケウチが、かつてアルバイトをしていた町工場の親方の話です。📒

この話の一部を、老舗店にて語っております。町工場のあった下町の雰囲気が、老舗店のある仲見世商店街の雰囲気に似ていたことから、この親方の話をいたしました。

その時、店主が「その工場、なんていう名前?」とお聞きになっています。今思えば、借用書の ”40万円” をかつてのバイト先が貸してくださる可能性を示唆なさっていたのでしょう。まだ借用書の晒されていた2023年5月ごろの会話です。

”事件” 後、色々な方に巡り合い、大変お世話になりました。その中にはイチゴの好きな方も多くいらっしゃいます。(押入れの少女ハルちゃんや、幼稚園バスを待つ女の子もそうです。)

このエピソードも note に記さずにはいられません。

「穂高精工」は都営バスの営業所「東京都交通局 巣鴨自動車営業所」や「アパホテル〈巣鴨駅前〉」からJR巣鴨駅寄りにありました。

学生時代のタケウチは、先立ってJR巣鴨駅から徒歩5分ほどの、とある店でもアルバイトをしています。福音館書店本社より白山通りを挟んで反対側でした。

その店が金属加工を頼むというご縁から、この親方の町工場でもアルバイトをさせていただきました。

いわゆる旋盤やフライス盤のある小さな工場でした。親方の名前は「中根さん」です。

親方は ”アル中” でいらっしゃり、先輩社員のお二人もそのことで頭を抱えてらっしゃいました。

この親方の自慢は、数多くの大企業の工場で金属加工を請け負ってきたことです。

工場でお使いになる灰皿は、「ホンダ シビック」のピストンを裏返しにしたものでした。(老舗店 には、ホンダ販売店の方も常連としていらっしゃいます。この映像も残されていることでしょう。)

「ぺんてる」の工場では、ボールペンの仕事を請け負っていたそうです。この大手文具メーカーの仕事が終わる際、工場長に「御社で一番いいボールペンをください。」と、親方が、お願いしたところ「うちのよりクロスが一番だ。」という返事が返ってきたとおっしゃります。

そんな経緯もあり、私にクロスのボールペンをくださった親方でした。

加工する金属板に印を付ける際、「こないだやったボールペンがあるだろ?」とおっしゃる親方でしたが、「油性ボールペンでどうやって金属の上に書くのか?」と私が思ったことは言うまでもありません。

タケウチは、この親方の話を小田急ファッションウォークにある 中山政七商店 小田急百貨店町田店 筆記具コーナーにて、他の客にしたり顔で語っております。「何この人?」と反応なさっていた女性客には、この場を借りてお詫び申し上げます。本年6月以降、再会できましたら更に詳しく説明させてください。(余計引かれるかもしれませんが…。)

工場の名前である「穂高精工」の由来ですが、親方が登山をなさることから、北アルプスにある穂高岳にちなんで命名されています。

(ちなみに、二人の先輩のうちのお一人は、私同様にトライアスロンをなさっていました。日本だけでなくカナダの大会でも好成績をあげ、ハワイの世界大会にも出場なさっています。)

親方は、高校時代、山岳部に所属して早稲田大学山岳部に推薦をもらったものの、学費面を理由に諦めざる負えなかったといいます。勿論、私が早稲田大学の学生であること、スポーツに打ち込んでいたこともよくご存じでした。

親方には、あちこちで美味しいものを御ご馳走になっています。

昼食時に頻繫に行ったのが、地蔵通り裏にある定食屋です。日によっておかずの異なる昼の定食ですが、毎日同じ ”麦飯” と付け合わせの ”ひたし豆” がタケウチのお気に入りでした。

たまに贅沢をするときは「伊勢屋」の天ぷらです。目の前で揚げてくださることや、海老のかなり大きかったこと、そして ”黄金色の揚げ油” が今でも目に焼き付いています。

大晦日、工場の大掃除が終わると、皆で浅草の 米久です。玄関では、太鼓を客の人数分叩いてくださります。コンビニの徳光マネージャーへの連載でも度々申し上げているとおり、なにぶん ”男の子” であるタケウチです。その様子にはしゃいだのは言うまでもありません。

牛鍋のあと、神谷バーに向かうことが定番だったのも言うまでもないことです。

アル中の親方は、やがて容態が悪化なさります。やはり登山をなさるという彼女がいらしたそうですが、お目にかかることはかないませんでした。その彼女も親方をかなり気遣っていたはずです。

大塚駅からJR山手線の内側にある病院に入院なさります。(都立大塚病院かもしません。)そこへ、イチゴを土産に見舞ったタケウチでした。

どのように病室を見つけたのかは、今となっては思い出せないものの、無事、親方を見つけます。寝巻姿で歩いていらした親方がおっしゃいました。

「ナオ、お前、どうやって入ってきた?(怒)」

関係者以外立ち入り禁止区域だったのです。どうも、ICU(集中治療室)だった模様です。(こういったことが出来るのは、ある意味 “発達障害の為せる技” に違いありません。”あの甥” も喜んで同意するはずです。)

親方は、おっしゃいます。

「とりあえず、そのイチゴはもらっておくわ。」

タケウチが、親方から聞いた最後の言葉でした。

あの老舗店で、穂高精工と親方を語ったことが恩返しとなることを祈っています。少なくとも母校の仲間たちが、この親方に興味をもってくれたことだけは間違いありません。

🍛

厳密には未提出です。しかしながら、老舗店で語ったこの一部が、母校の仲間の心に響いたことは間違いありません。

タケウチが ”親方” を語る映像を、ドイツで仕事をなさる石原先輩にもご覧いただけるはずです。

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?