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結局この日に何をしたのかが分からない日の日記

悩みがないことが悩みだとか、考えるということを考えるとか。


言葉を集めて型を作りその型に自分を押し当てるのではなく、内側から自然に名前のない形のままに。なりたい。でもそれをやろうとした結果頭が上手く使えなくなって、感覚的に生きすぎているよなと反省したりして。ちょうどいいところで止まるのはやっぱり難しくて、いつもプラス10000かマイナス10000か、極端に反対のことしかできない。プラスとマイナスが数直線ではなくて地球みたいに丸かったら反対の2つが一周回ってつながるかもしれないのに。まあそんなことはないのか。もし、そんなことがあるのなら、私はちょうどよく生きることができているはず。


窓から見える夜景がひどく眩しい。39階の犬の鳴き声が助けを求める声にしか聞こえない。夜景をおかずにご飯を食べるような私にはなりたくないの。おかずは頭の中の妄想だけでよろしい。


自分が書いた文章がひどすぎて、本当に意味がわからなくて笑ってしまった。行間を飛ばしすぎている。なぜこの一文のあとにあの一文が来たのか。ずいぶん考えたけれど昔の自分が考えていることが本当に分からなくて、私って可笑しいなって思ったりして。もっと上手に書けるようになりたいな。 


お腹いっぱいの時にさらに炭水化物を胃に詰め込むのが好きだ。お腹を壊している時にわざと辛ラーメンを食べるのが好きだ。昔から、物事を限界まで悪化させることに関心があり、わかっていても想定されるべき最悪の選択をしてしまう。本当にこれは何でなんだろう。人ってトラブルを避けより良く生きるために頭や体が発達したのではなかったのか。私は頭を逆の方に使ってはいないか。何が動機となってあんな選択ができるんだろう。変なの〜!


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