自分を馬鹿にすれば (11月)

2022年 11月


の1ヶ月前くらいから

はじめて学祭で自分の企画を持って、知らない人とやり取りをする機会が増えた。自分が怠惰になることは誰かに迷惑をかけるということに繋がるとはっきり分かった。今まで主体性を持って何かをやり遂げたことが無かったのだと気付いた日々だった。

世間の労働からしたらきっと大したことはない。ただ慣れないことは疲れるという話にすぎないのだと思う。これくらいで根をあげるなんて…所詮大学の学祭…となよなよ言いながらやっていた。



という感じで、無事学祭初日を迎え自分の企画が執り行われるわけですが。まあトラブルが続く…。私が観客として観に行っているライブやイベントも実際裏ではてんやわんやなのかも、もしくは布陣が完璧すぎてトラブルが防止されているのかも(勿論その両者だろう)と思った。

ただ、外から呼んだゲストバンドの方々がとにかく優しくて救われた。一緒にやってる部員もみんな優しかった。バタバタしながら、楽しいなと思っていた。



準備をしている間は、慣れない作業への愚痴や不満ばかり。その上、自分の仕事なんか と自分を下げることで安心して心を保ちながら日々の困難を解決していたと思う。

自分で自分を馬鹿にさえすれば解決することは多い。自分の価値が低いと認識すれば、大抵の不条理や辛抱も理にかなう。


しかし、自分が考え出演者を決めた当日のライブを終えて、そんなことは一切思えなくなった。

自分1人で出来ることなんてひとつもないのだと思った。私を馬鹿にするということは、私の気持ちが発端になった出来事に関わってくれる人のことも馬鹿にするということなのだと分かった。


大好きなバンドが今日のためにスケジュールを空けておいてくれて、そのバンドを好きな人がまたカレンダーに今日の予定を入れてくれて、足を運んでくれている。って冷静にめちゃくちゃとんでもなく凄いことじゃないですか。その日の気持ちが今もしずかに心に宿っている。


私がもし将来ライブやイベントなんかに関われる職に就けたとして、そしてその業務に慣れたとしても、この日のことをしっかり覚えていたいと思う。

けど、実際は忘れてしまう。現に、今年度オファーが通った時の気持ちは喜びよりも安心が勝っていた。去年とは立場が違うので、それはそれで悪いことじゃないかもしれないけど。


覚えていようとしすぎると、多分だいぶイタい人間になると思う…。何度もその日のことを語って、あの日私は変わった!みたいなことになってしまうと思う…。

自分を馬鹿にしすぎないことは大事だが、それと同じくらい自分を買い被りすぎないことも大事だと思うので、そのアンテナは立てたままでいます。


家に帰ってから、元々知り合いだったゲストで来てくれたバンドのマネージャーの方から「おかげで楽しかった、明日も頑張って」とメッセージをもらって少し泣いた。ライブの光景の一枚後ろに潜むのはその言葉で、やっと一息つけた瞬間であり、はじめて楽しかったと思えた瞬間だった。
きっとあの人は自分のことを馬鹿になんかしていないと思う。大事にしたいことがあるなら、まず自分を大事にしなきゃ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?