元はといえば。

何事も、起きるには原因がある。
始めから事が起きると分かっていれば対策できるが、事が起きた場合は必ず原因を取り除けていなかったという事。

元はといえば、の後に付け足しやすい言葉に「あとから考えてみれば」がある。
『元々あった原因を取り除かなかったことで事は起きてしまったがあとから考えれば原因を取り除かなかったせいなのは明らか。』

なんだかちょっとした数式のよう。

Xという存在にYというきっかけが加わることイコール、Zという事が起きる
あとから考えてみると、元はといえばYというきっかけが無いイコール、事は起きない

と国語の数学が完成する。

人生は細かい出来事の連続。たくさんの「きっかけ」「出来事」がある。
たくさんの出来事Zのら列の中から、対するきっかけYを探し出すのは意外と難しい。

例えば…
人気者Aが隠す、良くない行為Bを、嫌われ者Cが入手し、有名情報局Dに、多額の金額Eで売り、大勢の人々Fに知られたことで街の人気度Gが下がってしまった。とする。

出来事をGにすれば
【Cの悪事によるAの被害】であるし
出来事をBにすれば
【Dの特ダネによるビッグニュース】であるし
【Aの真実を知り傷つくG】のようにもなる。

更には、出来事Gに対するきっかけYを探してみようと「元はといえば」を考えてみた場合、人により様々な元に辿り着く。

言ってしまえば生まれなければよかった。
更には、人類が知恵をつけたばかりに…地球が誕生したせいで…なんて話も間違いではない。
であるから元はといえばの正解は無いのかもしれない。

ただ、元はといえばで出来事を振り返る場合は必ず、自分の中で1つの正解を探しているときだと思う。あぁこれだ、と。
数学ならば数式で答えを求めればいいけれど人生の出来事はそんなに簡単に紐解けない訳で。

ただ一つ言えるのは「身から出た錆」
全ての出来事は自身の人生が作り出している訳で、どんな結果になろうとも自分の人生に必ず関わるのは「自分自身」のみ。
自分に起こる出来事は全て自分の行いが原因であり自分が存在しているから起き自分が生きているから認識し、振り返る。

元はといえば。この言葉は刀から来ていると聞いたことがある。
身がなければ錆も出ないし、身があれば錆もつくのは不思議ではない。常日頃から使用していれば尚の事。
細かく手入れして大切にしていれば錆もつかないが、たとえ錆がついたとしてもしっかり向き合い懸命に磨いて落とせばいい。錆が出るまでの悪い扱いを反省し、よく鍛錬し直し今後丁寧に扱っていけばいい。

元はといえば錆がついたら取ればよかった。
元はといえば錆びつかせなければよかった。
元はといえば錆びつくものだと知り丁寧に扱えばよかった。
元はといえば錆びつかないものならよかった。


元はといえば。
始めによく考えればよかった。

あとから考えてみれば
始めによく考えればよかった。

あぁ結局、これに尽きる。

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