嫌なら行くなは中途半端

何かあったら「そもそもやらなければ良かった」という言葉に社会全体が偏りすぎていておかしい。
誘いを断わればトラブルは起きなかった。では誘いを断る事で別のトラブルに遭遇していた可能性は?

雨の日に出かけなければ服が汚れることは無かったが家に居たせいで大地震で閉じ込められてしまった。起きた結果を比べたらあの時雨でも出かけていたならば…になる

これで正解?
そんな事言い出したら、そもそも私がこの仕事をしたのがいけなかった…私が生まれたのがいけなかった…こんな事言うんじゃなかった…私さえ居なくなれば…

悩んでる人が居なくなれば問題もなくなりますが、それで解決でいいの??
それならそもそも地球なんて存在しなければ良かった話。地球を作った宇宙を責めましょう。


被害にあった相手の結果に対してそもそもやらなきゃいいという「未来予測による否定」って行為は追い打ちにしかならない。誰だってトラブルを起こしたくて生きてない。
よく『泥棒にあって鍵をかけてない人に文句言いますか?』『泥棒は1番悪いけど鍵掛けない人も悪い』みたいな言葉を見かけるけど、そりゃ鍵がついてるのにかけない人にはアホちゃう?と思います。
ただ、気の緩みとかけ忘れていてとかたまたま鍵のない場所で…ならお気の毒様と思う。防犯する意識はあったけど何らかの失敗があったとしたら自分で自分を一番責めてるはず。そんな人に『そもそも鍵かけないからいけない』とは私なら言えない。
そのバックボーンを理解しようともせず「鍵かけない人すべてが悪」のように簡単に非難してしまうのも酷いもんだなと感じる。

今は実体験しなくともインターネットやメディアで疑似体験出来る時代。お店に行く前に情報を調べたり知らないことの予備知識をつけたり何でもできてしまう。

失敗を回避するように調べ尽くす人達にとって他人の事故は「回避を怠った為に起こるべくして起きたミス」となる。
世の中で何か起きたときにメディアで調べた知識から状況を考察して「自分ならそんな事はしない」と人の実体験と自分の疑似体験を重ねて非難の声をかける人が山程いる。
日頃から再三の注意も聞かず起こった事故や犯罪ならまだしも、日常生活に誰しも起こりうるトラブルに対して簡単に非難してしまうのはもう狂気でしかない。多分現実世界の事じゃなく漫画やドラマの世界と混同させてマヒしてると思う。

そういう人たちは、実際何かをしようとすると本当か嘘かわからないインターネットやメディアの情報を元に食べ物屋に出かけたり遊びに出かけたりするので、不味いと思っても周りが褒めていれば美味しいと錯覚するし面白くないモノも面白くなるし似合わない服も着たくなる。おかしいと思わなくても周りが責めているから自分も一緒になって責める。
自分の意見を言いたいけどもし人に責められたら怖いから「個人の意見」「知らんけど」なんて書いて保険もつける。

とにかく周りから浮きたくないし人と共感したくて仕方がないという人向けの商法にまんまとのせられて操られている可哀相な人でしかないけど、大衆の中に居ることで安心しているわけで作られた世界の中に飼われていることも一生気付かないから逆に言えば幸せなのかもしれない。
流行りにずっとついていかなきゃならないのは疲れるだろうなあ。ご苦労さまだ。

SNSで自慢げにアレコレ投稿して喜んでいたのも束の間、誰かから非難の声が届き急に周りから後ろ指さされるようになると、やらなければ良かったと後悔。そんな時でも周りからはそもそもこんな事やるなんてと非難され、今まで仲良かったネット友達からは腫れ物扱いでブロックされアンチばかりが残り誰にも何も言えなくなってSNSを引退。
非難されることはしたくない、何もしたくない、家からも出たくない、誰とも会いたくない、現実では何もやってこなかったからこれからどうして生きていこう、、、と、自分自身の生き方も追い詰める事になっていくかもしれない。

いつ自分が「アッチ」の立場になるかなんてわからない。これこそが実体験なのだとその時初めて気づく人もいるかもしれない。

トラブルが起きたときに、トラブルの原因を作らなければ良かったというのはバランスを取る言葉なのかもしれない。
でもトラブルで被害があった結果を嘆く人に対してやらなきゃ良かったのにと結果論を言うのはかなり酷だなと私は思う。
結果論なんて被害を受けた人が一番わかっているし、それを言うのであればまずはなぜその選択肢を選んだのかを聞きたい。そもそも何かしら得るものがあるから選択肢を選んだけれど本来期待している結果にならなかったのだろう。選ぶなという結果論を述べる場合はその選択肢を選ばなかった場合でも結果相応の事が保証されていると話さなければなんの説得力もないと感じている。

【例えば、憧れの人に飲み会に誘われて素敵なパーティーだからと参加したらハリボテの会場で高い代償を払うことになった場合】

・普段からホテルの食事会には参加していて今回もそのような話かと思ったら全然違った。はじめからわかっていれば参加なんてしなかった。ハズレのパーティーだった。

・憧れの人にも良く思われたいし素敵なパーティーにも興味があった。もし参加しなかったらそんな機会二度と無かったかもしれないので参加した。今後はパーティーなんて参加しない。

・食事会だと言われたから行ってみたら想像と違ったけど、まぁ楽しければいいやーと思ってたけど代償はイタい!聞いてない!訴える!

…色んな人が居ると思う。誘った人だって相手がこんなに色んな気持ちで参加することも気付かないだろうし。


トラブルの時は両者の考えと実際の状況からみて初めて「正しい出来事」が見えてくる。
起きた事を聞いてトラブル生む行動するなと結果論で諭すのは悪手。どちらかの援護射撃として更に火種になってしまう。
事件前後の両者の意識と両者が納得のいく状況が決定されなければ何もわからないというのが一番中立の意見だと思う。

そもそもそもそも言う人って「ほらー初めからそうだと思ってたんだよねー」とか言いそうなイメージ。

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