祈り
寝る前、ベッドに寝転びながら、子供が言った。
「おともだちの〇〇ちゃんがね、もう2ねんいじょう、おじいちゃんおばあちゃんに会ってないんだって。わたしと一緒だね」
そっかそっか、と言いながら、田舎に住む両親を思った。
「おかあさん、わたしと弟くんは、いつになったらおじいちゃん達に会えるの?」
「うーん、いつかなぁ。すぐだと良いんだけどね。今は、県を超えて移動するのはあまり良くないと言われているし、病気をうつしたり、うつされたりしてしまったら、お互いにとって悲しいことだからね。もう少しの辛抱かな」
「県ってなあに?」
「日本地図に書かれている黒い線だよ。あの線を超えないように、みんな頑張ってるの」
「じゃあ、おじいちゃんたちが線のところまで来てくれたら良いのに。わたしも線のところまで行くけど、マスクするし、線踏まないように気をつけるから。描いた絵と、覚えたダンス、見てもらうだけだから」
私は笑いながら娘の髪をなでる。
県境にまたがる目に見えない線。超えたくても超えられず、もどかしい思いをしている人がたくさんいる。そんな人たちを嘲笑うかのように、ウイルスは日本中に広がっていった。私たちが越えられない県境を、易々と超えて。
見えない線と未知のウイルスが、私たちを分断して、もうどれくらいの月日がたったのだろう。
私を生み育ててくれた両親。私こそ、会いたいし、心配で仕方がない。こんなに会っていない期間が長いのは初めてだ。先日母から送られてきた写真に映る父は、私の記憶よりもずっと、皺が濃くなっていた。
「みんな我慢してるの?」
「みんな我慢してるよ。色々なこと」
「そっかぁ。じゃあ、わたしも我慢しなきゃかぁ」
そこで私はふと我に返った。そして思わず言っていた。
「違うよ」と。
我慢しなければいけないのは百も承知で、その上で、私は、深く息を吸い込んでから、もう一度言った。
「違うよ」
「がまんしなさい」なんて、普段はよく使ってしまう言葉だけれど、今は違う。
私はこんな時、我慢することを教えるのではなく、「前向きに願うこと」を教える母でありたい。
自分たちのために願う。
「早く会えますように」と。
相手のために願う。
「あなたと大切な人が共に過ごす時間が、1秒でも多くありますように」と。
たとえ、会えないという事実は変わらなくとも、「我慢」なんて言葉を、もう使わなくて良いじゃないか。
「おともだちの〇〇ちゃんが、おじいちゃんおばあちゃんと、早く会えますように、ってさ、神様にお願いしたら良いんだよ。」
「お願い?わたしが?」
「そう。人のためにお願いできるなんて、素敵じゃん。そのあとさ、ちゃーんと自分のお願いもするんだよ。私も早く、おじいちゃんおばあちゃんに会えますように、って」
「ふーん」
娘が私の気持ちを理解したのか、しなかったのか定かではない。けれど、娘が穏やかな顔で笑っていたので、それ以上は何も言わなかった。
残念ながら私には、スピリチュアルな能力もなければ、信仰しているものもない。人のために祈るだなんて、慣れてない。
そんな平凡な主婦だけれど、板につかないこの祈りが、どうか誰かに届きますようにと願った時、少し涙がこぼれた。それは、優しい気持ちになれる涙だった。
心から願う。
早く会えますようにと。
そして祈る。
あなたと大切な人が共に過ごす時間が、1秒でも多くありますように。
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